院長ブログ

2026.06.07

粘液は語る

もしかしたら、どの液体を許容できるかで好きなホラー映画が決まるのかもしれない。
唾液なら「エイリアン」を楽しめるだろう。彼らの唾液は鋼鉄をも溶かしてしまう。もっと粘液のしずる感に耐えられるのなら「ザ・フライ」が良いだろう。けれど、このブログを書くために夕飯食べながら「ザ・フライ」を見返したら、罰ゲームみたいに辛かった。しかしラストはいつも心が揺さぶられる。
血液が好きなら「八つ墓村(77')」はいかがか?要蔵おじさんが繰り広げるスプラッターは、当時小学生の私を恐怖のどん底に突き落としました。

しかし世の多くはホラー映画を好まない。つまり大抵の人は体から出る液体を嫌う。医療従事者とて許容できる液体は様々だ。私たちの体は大雑把に言えば筒のような構造になっていて、外側を皮膚、内側を粘膜が覆っている。皮膚は皮膚科の先生に任せて、自分が担当している組織に粘膜が含まれていたなら、その粘液を受け入れることが何科に進むかを決めたのだ。消化器外科医は口や腸から出る粘液にひるまない。そう思うと精神科に進んだ同級生はどの粘液も苦手だったのだろう。かく言う私は気道の粘液を受け入れた。 
消化器も、呼吸器も経験のあるうちの看護師さんは痰が一番苦手だったそうだ。まあ、割と気道の粘液=痰は人気がない。気道の粘液は常に潤い、外から体の中に入り込もうとする異物や侵入者をトラップして痰として出すことで私たちの健康を守っている。特にインフルエンザやコロナウイルスは鼻やのどの粘膜だ大好きだ。
私は子供の頃、病気によって痰の風味が違うことに気がついた。鼻からのどに流れる痰と、のどの奥から出てくる痰では味が違う。特にのどの奥からのはポテトチップスコンソメパンチの味がした。本能的にこの体験を誰にでも話していい内容ではない、と理解していたので、大学に入るまで待っていた。しかし、同級生に話しても誰も同意してはくれなかった。奇跡は、今年の春に起こった。「痰の味がコンソメパンチ」という患者さんが来たのだ。数十年分の謎を共有する私とあなた、おそらく遺伝子が似ているのだろう。移植の時には、きっとお互い良いドナーになれる。時間が許すなら、私は診察道具を脇に置き、白衣すら脱いでその患者さんと咆哮したかった。
さあ、鼻の穴からの粘膜と粘液が織りなす世界に入ろう。鼻毛の森を抜けると、皮膚から粘膜へのグラデーション、まるで虹の様だ。ここを自分の指で傷つけると、蓄膿でもないのに、臭い匂いにまとわりつかれる。虹を壊した罰だ。さらに中に進もう。鼻の粘膜やのどの粘膜が見える場所で、私は粘膜の声を聴く。粘液は粘膜が放つ言語だ。耳鼻科の専門医になるということは、その言語を翻訳する、つまり上気道のイタコになるということだ。あぁ、私はもっと粘膜の言葉を知りたい。