院長ブログ
2026.07.08
見たいもの
塩野七生氏の「ローマ人の物語」は全15巻で、そのうち2巻を費やしてユリウス・カエサル(英語ではジュリアス・シーザー)を描いている。ユリウス・カエサルは偉人だけあって、ユリウスは英語の7月(ジュライ)の語源となり、カエサルは皇帝を表す言葉となった。医療現場では帝王切開をドイツ語読みのカイザーというのもその名残だ。
「ローマ人の物語」ではユリウス・カエサルの次の言葉が紹介されている。「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと欲する現実しか見ていない」
そこから進むこと約二千年。心理学者のダニエル・カーネマンは「人の意思決定には認知バイアス(認知の偏り)が避けられない」ことを示した。認知バイアスの一つ、自分にとって都合のいい情報ばかりを集めて、不都合な情報を無視してしまう心理的な傾向を確証バイアスという。
さらに近年の認知科学では、その背景を説明する考え方として”予測処理”が注目されている。私たちの脳は耳や眼から入ってきた情報をそのまま受け取っているわけではなく、常に先回りして予測し、予測と現実の差を埋めながら世界を理解しているという考えだ。
ブログ読者のみなさん、こんちには。ここで脳が予測処理をしている具体例を紹介しよう。

おそらく、中央の2つの円は全く同じと種明かししても、どうしても違うように見えてしまうだろう。それは脳が中央の円を周りの円と比較して解釈するからだ。大きいと思うか小さいと思うかは実際のサイズではなく周囲の状況に強く影響される。
話はちょっとそれて、この錯覚を見ると私は開業したての頃を思い出す。それまでの国産車から中古だけどベンツを購入して十分満足していたが、同じ時期に開業した先生のフェイスブックで「新車のポルシェでドライブしています」なんて記事を見て、途端に自分がちっぽけに思えたのだった。中古のベンツは同じ大きさなのに。アメリカでは義理の兄弟より収入が上だと満足度が高いそうな。
話を元に戻し、最初の「こんちには」を「こんにちは」と読み替えてスルーしてしまわなかっただろうか?これも、脳が文脈から「こんにちは」のはずだと予測するため、多少のエラーを無視してしまうのだ。
自分の中で育てた世界観(=予測)と現実が違っていた場合は二通りの対応しかない。世界観を更新するか、世界観に合わせるように現実の解釈を変えるか。どっちらかに偏り過ぎたら心のバランスも崩れるのかもしれない。
診察はしばしば世界観と世界観がぶつかり合う現場になる。例えば「のどが赤い」。聞けば、「のどがイガイガするので見てみると赤かった」ということで、いつもより赤いの?の問いには「初めて見た」という。粘膜下の血管のせいで赤く見えるんですよ、と正論を言っても納得はしないようだ。咽頭がんや喉頭がん、コロナや溶連菌、ありとあらゆる可能性について尋ねられる。私が育んできたのどの世界観を理解してもらうように「病的な赤さではないし病も無い」と説明し続ければよいのか?相手の世界観に合わせるように「ちょっと赤いね」と言ったほうがよいのか?
今はやりの”よりそう”医療とは「見たい現実」を見せることなのか?それとも、ただただ「現実」を見せればいいのか?どちらかに偏り過ぎれば診療のバランスも崩れるのだろう。