院長ブログ

2023.01.29

Without You 

もうすぐ2月ですね。さて2月は何の月でしょう?
この質問は古くからブログを読んでくださっている方には簡単すぎると思われるが、
ブログが病院のホームページに引っ越してからの読者には難問でしょうから、答えを書かせていただきます。
「ホッイットニー・ヒューストンの追悼月」であります。
ホイットニー・ヒューストン(以下ホイットニー)のことをよくご存じない人のために、この場を借りて紹介を。

ホットニーは教会でゴスペルや、プロ歌手である母のバックで歌っているうちに大手レコード会社の目に留まる。85’22歳でファーストアルバム「そよ風の贈りもの」、87’セカンドアルバム「ホイットニーヒューストンⅡ~」をリリースし全世界でヒット。ビートルズやマイケルジャクソンと並び称されるほどにCDセールスの記録保持者である。
91’スーパーボールでの国歌独唱、歌だけでなく女優として92’映画「ボディガード」でケビンコスナーと共演。映画のサウンドトラック”I will always love you”のサビの部分「エンダァァァァ~イアィ」は知っている人も多いだろう。私の周りでも結婚式の入場曲として使われていた(別れの歌なのだが)。そしてこの頃が、人気絶頂。と言えるだろう。
が、この後より、夫がボビーブラウンであることがボディブローのように効いてくる。映画「ため息つかせて」は「ボディガード」には遠く及ばず、ステージでのパフォーマンスも我々ファンに、ため息つかせているうちに麻薬で逮捕。リハビリ施設に入所する。
一時期復活の兆しは見せたが、完全とは言えぬまま2012年2月11日にホテルの浴室で溺死。死因はコカイン使用による心臓発作。
そう、2月はホイットニーの命日にちなんで、追悼月なのであります。
ついでに今までのホイットニーに関するブログをホイットニーカテゴリーにまとめました。参考にしてください。そして私のつたない文章だけではわからない人のために、「ゴスペル~母のバックから~」のデビュー当時のイメージは、Youtubeで「GREATEST LOVE OF ALL」の動画(母親は本物のシシー・ヒューストンです)を。人気、歌唱力の絶頂を体感するためにはスーパーボウルでのホイットニーの国家熱唱を是非見ていただきたい。

さて、昨年末からホイットニーファンの私の頭はにわかに忙しくなっている。これはひとえにホイットニーの人生をなぞった映画「I wanna dance with somebody」のおかげである。
”なぞる”といっても、文字にしてしまうと上に紹介した以上でも、以下でもないのが彼女の人生だったわけだが、彼女には彼女の”色=color”があり、それを知れたことで、また新しい気持ちでCDを引っ張り出して聴いている。
後半のボビーブラウンと結婚してからの転落、麻薬に溺れるところは目を背けたくなりもしたが、
亡くなって10年。もう少し前なら麻薬のシーンは生傷に触れるようで心から血が出たりもしたろうが、時間は薬で、そこはカサブタになっていた。

それにしても、つくづく人間は多面体だと思う。
♪No matter what they take from me. They can’t take away my dignity
たとえ何を奪われたとしても、わたしの尊厳は奪うことはできない♪と歌った同じ人間が、コカインを吸えるのだから。人の頭の中にはたくさん引き出しがあって、引き出し同士は会話がないのかもしれない。
映画の中でホイットニーが”I wanna dance with somebody”を「誰かとものすごく踊りたい、
でも踊れないのね」と評するシーンがある。
私はホイットニーに自分自身と踊って欲しかった。それは自分を見つめることを意味する。「歌詞に納得できないと感情をこめて歌えない」と言う彼女だから、自身と踊れば、頭の引き出し同士で会話してくれただろう。悲劇は避けられたかもしれない。
さらにこれから名古屋・大阪をまわる「ホイットニー・ヒューストン ホログラムコンサート」が私の心を躍らせている。昼夜2回公演でも、もうホイットニーの声を心配しなくてもいいし、マドンナみたいに開演が2時間遅れることもないだろう。だってホログラムだもん。
私はホログラムのホイットニーに逢ってこようと思っている。
生きていれば今年で60歳。きっとあの世から「Thank you」と言ってくれるだろう。何か赤いものを持っていこう。