院長ブログ

2025.01.19

函館旅行記

北海道を地図で見ると南の方は一旦くびれてまた広がり、まるで魚の尾ビレのような形になっている。尾びれの向かって右側にあたるのが函館市だ。ピッコっと津軽海峡に突き出た部分が函館観光の中心地で、有名な夜景は334mの函館山からここを望んでいる。

(拡大していった函館の図。作画は当院の看護師さん。私はつい最近まで、夜景は北海道のくびれだと思っていました)

水上勉の”飢餓海峡”はこの函館が舞台(の一つ)である。以下あらすじを。
昭和22年9月、北海道を襲った台風は二つの事件を起こす。風は1つの町を焼く大火を、波は青函連絡船の遭難を。捜査が進むと、大火は3人の男による放火・強盗によるものであると判明する。一方函館では遭難遺体の収容で、乗船名簿にはない2名の遺体があることに警察は気が付く。刑事は犯人たちが仲間割れし、一人が残り二人を殺し、遭難者にまぎれさせ、津軽海峡を渡って逃げたと推理し、逃げた男の行方を追う。
男は海峡を渡った青森で一人の女の優しさに触れ、放火・強盗事件で得たお金の一部を渡す。それは貧しく生まれ育った女にとっては人生をやり直すには充分な大金だった。女は男を大恩人と感謝し、追ってきた刑事にウソの証言をする。そのせいもあって、結局男の行方は分からなくなり、事件は闇に包まれる。
10年後、多額の寄付をして新聞に載った男に大恩人の面影を見た女は会いに行くが、数日後死体で発見され。。。と、”砂の器”と”レ・ミゼラブル”を足して割ったような話。
小説の世界で、遭難した船からの死体やそれにすがって泣く家族で地獄絵図となっていた函館の浜は、今はベイエリアと称し、有名なご当地ハンバーガーショップ”ラッキーピエロ”のカラフルな看板が目立つ、若い観光客が集まる場所になっていました。
(おしゃれにライトアップされた青函連絡船。もう動いてはいません)
さて、何かを渇望すればその影として飢餓は生まれるもの。映画では三国連太郎、ドラマでは萩原健一が演じた男は、故郷でうまくいかず、開拓者として生きた北海道でもうまくいかず、あがいてもあがいても泥沼な人生から抜け出したいという渇望が起こした飢餓だった。
人生で何かを心から望んだことがあり、そこに向かおうとしたならそれは飢餓海峡と言えるだろう。そう考えた時、私は40年近く前の大学入試を思い出した。問題を裏返しにして開始の時間を待っている間、「こんな思いをしているんだから、必ず合格して幸せになろう」と考えていた。私も心細く海峡を漕いで渡っていたのだ。
帰りのタクシーは右手にその津軽海峡を見ながら空港に向かう。私は感慨深く眺めていたが、一緒に行った友人たちは隣で「うに食べ忘れた。活イカ刺し食べられなかったのが残念」と愚痴っている。今朝だって、ホテルのバイキングで海鮮パフェと称してイクラをてんこ盛りにかけていたくせに。どうやら今の私たちは飽食海峡なようで。