院長ブログ

2025.06.18

信号待ちから学ぶ、自分を知ること

信号待ちでそれなりの渋滞に並んでいると、左脇から一台の車が出てきた。信号も青になったので、その車を入れようとしたら、その車の後ろのSUVが強引に割り込んできた。この瞬間の私の顔をドライブレコーダーならぬ”ドライバーレコーダー”で撮影し、「この人の気持ちは?」とSNSで全世界に発信してみよう。この質問の正解率は、国籍、民族、言語の壁を越えてかなり高いはずだ。人は他人の表情からその人がどんな状態にあるかを無意識に察知する能力が、ある種の発達障害がないのなら備わっている。
質問の答えである”怒り”の根源は”不公平”からきている。一台入れたら、次は自分の車が進む順番、という当たり前に存在する公平性は学んで身につけるものではない。兄弟ケンカの原因はいつだって”不公平”にあるだろう。つまり不公平な状況に怒りを覚えるメカニズムは脳に組み込まれている。
”怒り”だけではなく”喜び”も”悲しみ”も状況に応じて脳が特定のパターンで身体にシグナルを送り、自分がどのような状態にあるか他者に知らせてくれて、これを情動(emotion)という。情動は脳と身体の分かちがたい関係と、他者に対してはダダもれの個人情報であるということを教えてくれる。
怒りの情動でいうと、脳は胃腸とやり取りをしているのだと思う。わざわざ書くまでもなく、古代の人は身体由来の情動を知っていて、怒りを”腹が立つ”と表現している。他にも悲しみは”胸が張り裂け”、喜びでは”胸が躍る”。
おそらく私の身体では、脳が胃腸にシグナルを送り怒りの情動が発生し胃腸が反応した、その反応を今度は脳が受けることで怒りという感情を意識できるようになったのだと思う。実感としては捉えにくいかもしれないが、感情(feeling)は情動の後に起る。
以前診察した(過去のブログ)”息苦しくて、不安”の正体は安静時心拍数150/分の不整脈だった。このことからわかるように不安だからドキドキするのでは無く、ドキドキするから不安なのだ。
そして、私たちの脳は情動が起った時に、その反応を引き起こした事柄とその後の感情をスクショして記憶にとどめ、後日ちょっとした手掛かりがあれば、そこに生涯を通じて瞬時にアクセスすることも可能な程高性能ときている。だから思い出しただけで腹が立つこともある。わかりやすいから怒りばっかりを例として挙げたが、もちろん喜びだっていつでもアクセス可能だ。悲しみだって、不安、嫌悪だって。
この情動と感情のからくりを私がしつこく考えるのはひとえに”汝自身”を知りたいからだ。自分をコントロールすることは現代では必須のテクニックで、特に怒りの情動は原始時代と違い現代社会で無用になりつつある。
人間の情動は生物すべてが持っている生きるための反応を起源とするから(以前のブログ)それをなくすことはできない。情動でしか動かない表情筋があるということは表情を装うことができるのは名優と真正の詐欺師くらいだ。そう考えると自分をコントロールする一歩は情動の後に起こる感情にアプローチするのがよいのだろう。”汝自身”を知った後に、豊かな情動を持ちつつも感情をコントロールできるようになるのではないだろうか。
割り込んできたSUVは信号の右折レーンに向かった。私は「きっと奥さんが産気づいているのだ」と思うことにして直進していったが、、、女の人だったよ。ちっ。