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<title>つりた耳鼻咽喉科クリニック 院長ブログ</title>
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<description>院長ブログ</description>
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<title>粘液は語る</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2026/06/90000/</link>
<description>もしかしたら、どの液体を許容できるかで好きなホラー映画が決まるのかもしれない。 唾液なら「エイリアン」を楽しめるだろう。彼らの唾液は鋼鉄をも溶かしてしまう。もっと粘液のしずる感に耐えられるのなら「ザ・フライ」が良いだろう。けれど、このブログを書くために夕飯食べながら「ザ・フライ」を見返したら、罰ゲームみたいに辛かった。しかしラストはいつも心が揺さぶられる。 血液が好きなら「八つ墓村（77&#039;）」はいかがか？山崎努演じる要蔵が繰り広げるスプラッターは、当時小学生の私を恐怖のどん底に突き落としました。 しかし世の多くはホラー映画を好まない。つまり大抵の人は体から出る液体を嫌う。医療従事者とて許容できる液体は様々だ。私たちの体は大雑把に言えば筒のような構造になっていて、外側を皮膚、内側を粘膜が覆っている。皮膚は皮膚科の先生に任せて、自分が担当している組織に粘膜が含まれていたなら、その粘液を受け入れることが何科に進むかを決めたのだ。消化器外科医は口や腸から出る粘液にひるまない。そう思うと精神科に進んだ同級生はどの粘液も苦手だったのだろう。かく言う私は気道の粘液を受け入れた。&#160; 消化器も、呼吸器も経験のあるうちの看護師さんは痰が一番苦手だったそうだ。まあ、割と気道の粘液＝痰は人気がない。気道の粘液は常に潤い、外から体の中に入り込もうとする異物や侵入者をトラップして痰として出すことで私たちの健康を守っている。特にインフルエンザやコロナウイルスは鼻やのどの粘膜だ大好きだ。 私は子供の頃、病気によって痰の風味が違うことに気がついた。鼻からのどに流れる痰と、のどの奥から出てくる痰では味が違う。特にのどの奥からのはポテトチップスコンソメパンチの味がした。本能的にこの体験を誰にでも話していい内容ではない、と理解していたので、大学に入るまで待っていた。しかし、同級生に話しても誰も同意してはくれなかった。奇跡は、今年の春に起こった。「痰の味がコンソメパンチ」という患者さんが来たのだ。数十年分の謎を共有する私とあなた、おそらく遺伝子が似ているのだろう。移植の時には、きっとお互い良いドナーになれる。時間が許すなら、私は診察道具を脇に置き、白衣すら脱いでその患者さんをきつく抱きしめたかった。 さあ、鼻の穴からの粘膜と粘液が織りなす世界に入ろう。鼻毛の森を抜けると、皮膚から粘膜へのグラデーション、まるで虹の様だ。ここを自分の指で傷つけると、蓄膿でもないのに、臭い匂いにまとわりつかれる。虹を壊した罰だ。さらに中に進もう。鼻の粘膜やのどの粘膜が見える場所で、私は粘膜の声を聴く。粘液は粘膜が放つ言語だ。耳鼻科の専門医になるということは、その言語を翻訳する、つまり上気道のイタコになるということだ。あぁ、私はもっと粘膜の言葉を知りたい。 </description>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin178078330641110500" class="cms-content-parts-sin178078330641118600"><div>もしかしたら、どの液体を許容できるかで好きなホラー映画が決まるのかもしれない。</div> <div>唾液なら「エイリアン」を楽しめるだろう。彼らの唾液は鋼鉄をも溶かしてしまう。もっと粘液のしずる感に耐えられるのなら「ザ・フライ」が良いだろう。けれど、このブログを書くために夕飯食べながら「ザ・フライ」を見返したら、罰ゲームみたいに辛かった。しかしラストはいつも心が揺さぶられる。</div> <div>血液が好きなら「八つ墓村（77'）」はいかがか？山崎努演じる要蔵が繰り広げるスプラッターは、当時小学生の私を恐怖のどん底に突き落としました。</div> <p><span style="letter-spacing: 0.1em;">しかし世の多くはホラー映画を好まない。つまり大抵の人は体から出る液体を嫌う。医療従事者とて許容できる液体は様々だ。私たちの体は大雑把に言えば筒のような構造になっていて、外側を皮膚、内側を粘膜が覆っている。皮膚は皮膚科の先生に任せて、自分が担当している組織に粘膜が含まれていたなら、その粘液を受け入れることが何科に進むかを決めたのだ。消化器外科医は口や腸から出る粘液にひるまない。そう思うと精神科に進んだ同級生はどの粘液も苦手だったのだろう。かく言う私は気道の粘液を受け入れた。</span>&#160;<br /> 消化器も、呼吸器も経験のあるうちの看護師さんは痰が一番苦手だったそうだ。まあ、割と気道の粘液＝痰は人気がない。気道の粘液は常に潤い、外から体の中に入り込もうとする異物や侵入者をトラップして痰として出すことで私たちの健康を守っている。特にインフルエンザやコロナウイルスは鼻やのどの粘膜だ大好きだ。<br /> 私は子供の頃、病気によって痰の風味が違うことに気がついた。鼻からのどに流れる痰と、のどの奥から出てくる痰では味が違う。特にのどの奥からのはポテトチップスコンソメパンチの味がした。本能的にこの体験を誰にでも話していい内容ではない、と理解していたので、大学に入るまで待っていた。しかし、同級生に話しても誰も同意してはくれなかった。奇跡は、今年の春に起こった。「痰の味がコンソメパンチ」という患者さんが来たのだ。<span style="letter-spacing: 1.6px;">数十年分の謎を共有する私とあなた、おそらく遺伝子が似ているのだろう。移植の時には、きっと</span><span style="letter-spacing: 1.6px;">お互い良いドナーになれる</span><span style="letter-spacing: 1.6px;">。時間が許すなら、</span><span style="letter-spacing: 0.1em;">私は診察道具を脇に置き、白衣すら脱いでその患者さんをきつく抱きしめたかった。<br /> さあ、鼻の穴からの粘膜と粘液が織りなす世界に入ろう。鼻毛の森を抜けると、皮膚から粘膜へのグラデーション、まるで虹の様だ。ここを自分の指で傷つけると、蓄膿でもないのに、臭い匂いにまとわりつかれる。虹を壊した罰だ。さらに中に進もう。鼻の粘膜やのどの粘膜が見える場所で、私は粘膜の声を聴く。粘液は粘膜が放つ言語だ。耳鼻科の専門医になるということは、その言語を翻訳する、つまり上気道のイタコになるということだ。あぁ、私はもっと粘膜の言葉を知りたい。<br type="_moz" /> </span></p></div>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2026/05/89999/">
<title>そして霊長類</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2026/05/89999/</link>
<description>
&#160;ハクビシンは最初に仕掛けた罠に２匹が捕まり、それっきりだった。後悔ができるホ乳類はパターンを学習できる。仕掛けが同じリンゴだったから、群れの仲間は捕まったパターンを学習したのだろう。
数億年かけて魚類からハ虫類までにやったのは身体を大きくしたことで、ティラノサウルスは12mの肉食恐竜だ。対するホ乳類は脳を大きくしていった。6千万年前のホ乳類に比べ、霊長類のチンパンジーは1000倍脳が大きい。
ロビン･ダンバーは霊長類は社会集団が大きければ、脳も大きくなっていることを発見した。その方程式に当てはめると私たち人間は150人になるという。これをダンバー数といい、安定的な社会関係を維持できる上限の人数と考えられている。
しかしこれは霊長類にしか当てはまらない。ヌーの集団は数万と大きいが、単独行動するヘラジカと脳の大きさは大して変わらない。野生動物のドキュメンタリーでヌーの大移動は割とつまらない。それはヌーには政治がないからだと思っている。
母親はホ乳類の霊長類に属する。以前のブログ（「推しの死」）で紹介した彼女の政治について抜粋しよう。訪問してくる友人達に対して母親は千疋屋の桃、富山では有名なブランデーケーキ、源吉兆庵のゼリーという3枚のカードがあった。
私「熟してきたし、そろそろ桃出す？」
母「彼女はブランデーケーキの方が喜ぶと思う」
私「源吉兆庵は？」
母「ん？それはね、その価値がわかる人を考えてからな～」
友人たちが何を好むか、何を知って何を知らないかについて母親は考えを持っていた。この相手の意図や知識を推測することを&#8221;心の理論&#8221;という。
心の理論を使って霊長類は社会的階層の安定を得ているので、脳の大きさと集団の大きさが相関するのだ。心の理論を測るテストとして有名なものに「アンとサリー課題」がある。

（アンとサリー課題）
この問題に参加した者は、自分とサリーは違う知識を持っていることを理解している必要がある。（正解はカゴ）
チンパンジーはこの手の課題を難なく解く。意外なことに共感力がある犬の正解率は50%くらいだそうだ。これは飼い主の意図を読んで共感するというより、犬には主人の感情がうつるのではないだろうか？犬が見せる打算のない共感を愛する人間は多い。
霊長類独自の神経構造は、「相手の立場にいる自分を想像（シミュレーション）することで相手を理解する」という働きをする。政治をする霊長類は他者を知る必要があり、まずそれには「汝自身を知る」ことが大事なのだ。自分のことを考えることと、他人を考えることは脳のなかでは同じ過程なのだから。
生涯の友人（或いは伴侶）とは、まだ自分が未熟な時に出会う。一生を分かち合える関係になるには、お互いの成長を必要とする、と言うことなのだろうか。確かに年をとってから友人を作るのは難しい。
この霊長類独自の脳を損傷した人は他人の感情を認識するのが苦手になり、共感するのに苦労し、冗談と本当を見分けることができなく、誰かを傷つける発言を平気でしてしまう。他の霊長類だってアンとサリーのような課題が解けなくなる。
霊長類の母親は友人達に自分を理解してもらうため愚痴を言い、共感や慰めを得ていた。夜中の騒音に疲弊した心には必要だったろう。さらに空き家問題として市役所、不動産屋、実際問題として駆除業者、大工さんたちと連絡をとり多方面からハクビシン包囲網を築き駆逐していった。霊長類の政治力がホ乳類に勝利したのだった。

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<dc:date>2026-05-26T21:35:00+09:00</dc:date>
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<p>&#160;<span style="letter-spacing: 0.1em;">ハクビシンは最初に仕掛けた罠に２匹が捕まり、それっきりだった。後悔ができるホ乳類はパターンを学習できる。仕掛けが同じリンゴだったから、群れの仲間は捕まったパターンを学習したのだろう。</span><br />
数億年かけて魚類からハ虫類までにやったのは身体を大きくしたことで、ティラノサウルスは12mの肉食恐竜だ。対するホ乳類は脳を大きくしていった。<span style="letter-spacing: 0.1em;">6千万年前のホ乳類に比べ、霊長類のチンパンジーは1000倍脳が大きい。</span><br />
ロビン･ダンバーは霊長類は社会集団が大きければ、脳も大きくなっていることを発見した。その方程式に当てはめると私たち人間は150人になるという。これをダンバー数といい、安定的な社会関係を維持できる上限の人数と考えられている。<br />
しかしこれは霊長類にしか当てはまらない。ヌーの集団は数万と大きいが、単独行動するヘラジカと脳の大きさは大して変わらない。野生動物のドキュメンタリーでヌーの大移動は割とつまらない。それはヌーには政治がないからだと思っている。<br />
<span style="letter-spacing: 1.6px;">母親はホ乳類の霊長類に属する。</span>以前のブログ（<a href="https://www.tsurita.com/news/2025/09/89978/">「推しの死」</a>）で紹介した彼女の政治について抜粋しよう。訪問してくる友人達に対して母親は千疋屋の桃、富山では有名なブランデーケーキ、源吉兆庵のゼリーという3枚のカードがあった。<br />
私「熟してきたし、そろそろ桃出す？」<br />
母「彼女はブランデーケーキの方が喜ぶと思う」<br />
私「源吉兆庵は？」<br />
母「ん？それはね、その価値がわかる人を考えてからな～」<br />
友人たちが何を好むか、何を知って何を知らないかについて母親は考えを持っていた。この相手の意図や知識を推測することを&#8221;心の理論&#8221;という。<br />
心の理論を使って霊長類は社会的階層の安定を得ているので、脳の大きさと集団の大きさが相関するのだ。心の理論を測るテストとして有名なものに「アンとサリー課題」がある。<br />
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（アンとサリー課題）<br />
この問題に参加した者は、自分とサリーは違う知識を持っていることを理解している必要がある。（正解はカゴ）<br />
チンパンジーはこの手の課題を難なく解く。意外なことに共感力がある犬の正解率は50%くらいだそうだ。これは飼い主の意図を読んで共感するというより、犬には主人の感情がうつるのではないだろうか？犬が見せる打算のない共感を愛する人間は多い。<br />
霊長類独自の神経構造は、「相手の立場にいる自分を想像（シミュレーション）することで相手を理解する」という働きをする。政治をする霊長類は他者を知る必要があり、まずそれには「汝自身を知る」ことが大事なのだ。自分のことを考えることと、他人を考えることは脳のなかでは同じ過程なのだから。<br />
生涯の友人（或いは伴侶）とは、まだ自分が未熟な時に出会う。一生を分かち合える関係になるには、お互いの成長を必要とする、と言うことなのだろうか。確かに年をとってから友人を作るのは難しい。<br />
この霊長類独自の脳を損傷した人は他人の感情を認識するのが苦手になり、共感するのに苦労し、冗談と本当を見分けることができなく、誰かを傷つける発言を平気でしてしまう。他の霊長類だってアンとサリーのような課題が解けなくなる。<br />
霊長類の母親は友人達に自分を理解してもらうため愚痴を言い、共感や慰めを得ていた。夜中の騒音に疲弊した心には必要だったろう。さらに空き家問題として市役所、不動産屋、実際問題として駆除業者、大工さんたちと連絡をとり多方面からハクビシン包囲網を築き駆逐していった。霊長類の政治力がホ乳類に勝利したのだった。</p>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2026/05/89998/">
<title>知能の進化</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2026/05/89998/</link>
<description>この人工知能・AIの時代にあって、線虫の知能を書いた前回のブログを&#8221;時代遅れ&#8221;と評価される方も多いだろう。 今から30年前のAI界隈も&#8221;知能とは人間だけが操れる言語、知性、問題解決能力だ！&#8221;派は、知能の進化からAIを開発しようとするやり方を批判していた。「ミミズと人間は違う」と。 だがこの線虫レベルの知能を応用したロボットは世界中で爆発的に売れた。その名も&#8221;ルンバ&#8221;である。ルンバはランダムに動き、障害物にぶつかるとそれから遠ざかるように向きを変え、バッテリーが少なくなると充電ステーションに向かう。線虫の感情が長く持続するところなんか、汚れているところを重点的に掃除する&#8221;汚れ検出機能&#8221;にそっくりだ！ 生物の成功は複製された遺伝子の数、つまり子孫の数と言われる。ルンバは全世界で累計5000万台も売れたのでロボット界のビックダディ、大成功と言ってもいいかもしれない。 しかしルンバも知能が一歩進み学習となると弱みを見せる。私が進入禁止エリアをバーチャルウォールで設定し忘れるとスイスイ入って段差にひっくり返っていた。忘れる私が学習していないともいえるが。 線虫から5000万年進んで5億年くらいになると脊椎動物が誕生した。水槽に迷路を作ると魚は透明な壁に何度も当たりながら正しい穴を見つけられる。なんなら網に引っかからないように小さな脱出口を泳ぐことだってできる。段差でひっくり返るルンバよりは洗練されている知能を持つ。 魚に迷路を解かせたのは、「人間が他の生物たちと進化と言う線で繋がっているならば、学習のメカニズムにだって共通の原理があり、それを知ることで子供たちに新しいことを教える一番良い方法になるのではないか」と考えたからで、結局&#8221;試行錯誤・TRY and ERROR&#8221;がその答えだった。試行錯誤し、うまくいったことを強化し、うまくいかなかったことを捨てることで学習する。子供には試行錯誤を促すことの方が、手取り足取りより学習になるということだ、進化的には。 さて脊椎動物のトリ、ホ乳類に話を移そう。母親と戦うハクビシンはホ乳類のジャコウネコ科だ。 ホ乳類は体温を保つことができる恒温動物であり、温かいと神経細胞が活発に働きやすいので脳が魚類やハ虫類より大きくなった。大きくなった脳がしていることは想像する＝シミュレーションだ。他の脊椎動物が実際の行動を試行錯誤して学習するに対して、ホ乳類はシミュレーションした行動から学習できるようになった。ホ乳類以外でシミュレーションできるのは鳥類で、ツバメを手に抱いたことがあるのでわかるが、彼らはとても温かい。 ただ想像＝シミュレーションできるということは叶わなかった現実を受け入れることで、ここで&#8221;後悔&#8221;が誕生した。人間の苦しみの原因は執着すること、と仏教は説く。過去に執着する後悔は、ホ乳類が誕生した2.5億年前に組み込まれてしまったのだった。お釈迦様はご存じだったのだろうか？ &#160;駆除業者が設置した罠にかかったハクビシン。この時期にはごちそうのリンゴに釣られてしまった。心なしか後悔しているように見えた。</description>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin177875866998754900" class="cms-content-parts-sin177875866998762700"><div>この人工知能・AIの時代にあって、線虫の知能を書いた前回のブログを&#8221;時代遅れ&#8221;と評価される方も多いだろう。</div> <div>今から30年前のAI界隈も&#8221;知能とは人間だけが操れる言語、知性、問題解決能力だ！&#8221;派は、知能の進化からAIを開発しようとするやり方を批判していた。「ミミズと人間は違う」と。</div> <div>だがこの線虫レベルの知能を応用したロボットは世界中で爆発的に売れた。その名も&#8221;ルンバ&#8221;である。ルンバはランダムに動き、障害物にぶつかるとそれから遠ざかるように向きを変え、バッテリーが少なくなると充電ステーションに向かう。線虫の感情が長く持続するところなんか、汚れているところを重点的に掃除する&#8221;汚れ検出機能&#8221;にそっくりだ！</div> <div>生物の成功は複製された遺伝子の数、つまり子孫の数と言われる。ルンバは全世界で累計5000万台も売れたのでロボット界のビックダディ、大成功と言ってもいいかもしれない。</div> <div>しかしルンバも知能が一歩進み学習となると弱みを見せる。私が進入禁止エリアをバーチャルウォールで設定し忘れるとスイスイ入って段差にひっくり返っていた。忘れる私が学習していないともいえるが。</div> <div>線虫から5000万年進んで5億年くらいになると脊椎動物が誕生した。水槽に迷路を作ると魚は透明な壁に何度も当たりながら正しい穴を見つけられる。なんなら網に引っかからないように小さな脱出口を泳ぐことだってできる。段差でひっくり返るルンバよりは洗練されている知能を持つ。</div> <div>魚に迷路を解かせたのは、「人間が他の生物たちと進化と言う線で繋がっているならば、学習のメカニズムにだって共通の原理があり、それを知ることで子供たちに新しいことを教える一番良い方法になるのではないか」と考えたからで、結局&#8221;試行錯誤・TRY and ERROR&#8221;がその答えだった。試行錯誤し、うまくいったことを強化し、うまくいかなかったことを捨てることで学習する。子供には試行錯誤を促すことの方が、手取り足取りより学習になるということだ、進化的には。</div> <div>さて脊椎動物のトリ、ホ乳類に話を移そう。母親と戦うハクビシンはホ乳類のジャコウネコ科だ。</div> <div>ホ乳類は体温を保つことができる恒温動物であり、温かいと神経細胞が活発に働きやすいので脳が魚類やハ虫類より大きくなった。大きくなった脳がしていることは想像する＝シミュレーションだ。他の脊椎動物が実際の行動を試行錯誤して学習するに対して、ホ乳類はシミュレーションした行動から学習できるようになった。ホ乳類以外でシミュレーションできるのは鳥類で、ツバメを手に抱いたことがあるのでわかるが、彼らはとても温かい。</div> <div>ただ想像＝シミュレーションできるということは叶わなかった現実を受け入れることで、ここで&#8221;後悔&#8221;が誕生した。人間の苦しみの原因は執着すること、と仏教は説く。過去に執着する後悔は、ホ乳類が誕生した2.5億年前に組み込まれてしまったのだった。お釈迦様はご存じだったのだろうか？</div> <div></div> <p>&#160;<img src="https://www.tsurita.com/images/blog/2026/05/hakubi.jpg" width="478" height="365" alt="" /><br />駆除業者が設置した罠にかかったハクビシン。<br />この時期にはごちそうのリンゴに釣られてしまった。心なしか後悔しているように見えた。</p></div>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2026/05/89997/">
<title>知能の誕生</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2026/05/89997/</link>
<description>実家に住む母親はこの2か月間、天井裏をハクビシンが夜な夜な動き回るのせいですっかり睡眠不足になっていた。 古い雪国の家屋にはありがちな隣の家との壁の隙間が非常に狭い構造で、おまけに隣は数十年空き家、当然壁の手入れなどされていなく、朽ちた場所からハクビシンはフリーパスで入ってくる。両隣が空き家の中で、天井裏が暖かい実家はちょうど子育てを始めようとする彼らにとってはビバリーヒルズのような所なのだ。 前回のブログで知能とは「生物が環境の中で生存と繁栄のためにどれだけ最適に答えられるか」だと書いた。そう考えるとこれは単なる空き家問題というより、ハクビシンと母親（と駆除業者）の知恵比べにも見えてくる。ということで帰省している間、知能の誕生ついて考えてみた。 35億年前に今いるすべての生物の祖先が誕生してから、まず25億年前に光合成をする生物（現在の植物につながる）が生まれ、次いで20億年前に光合成で出てきた酸素を呼吸する生物（動物につながる）が誕生した。 生物が少ないときはのんびりした楽園のような海のなかも、その数が増えるにしたがって、自分が生きる場所を確保しなければならず、だんだんバーゲン会場のような熱気を帯びることになった。その頃の生物には肘はないが、もしあれば押しあっていただろう。 そして動物がエネルギーを得るには酸素だけでなく糖を必要とする。その糖は他の生物から奪うしかない。呼吸する動物の誕生は「楽園の終わり」を意味していた。 そんな軍拡時代の5.5億年前から生きていたのが、線虫（ミミズに似ている）のような左右対称な動物である。ちなみに現在の地球上のほとんどすべての動物が左右対称で、それ以外はイソギンチャクのような放射対称の動物である。もし、地球以外に知的生命体がいるとしたら、ボディプラン（身体の形）は左右対称であろうと考えられている。ハリウッドはこの点では正しかった。エイリアンにしてもプレデターにしても左右対称だ。 左右対称の動物が繁栄した理由の一つは、この形なら進む、向きを変えるという2点だけで、どんな空間も効率よく移動できるからだ。何か乗り物を思い浮かべて欲しい。ほとんどすべては左右対称だろう。もう一つはこの運動を可能にするために脳が生まれたことだ。 線虫は302個の神経細胞からなる脳を持つ（人間は860億）。この302個でエサの匂いが強まったら進み、匂いが弱まったら向きを変える、光を避け、快適な温度へ移動し、安全な足場を選ぶなど、環境に対して一貫したルールで行動し、結果として生存確率を上げている。これが、知能の最も原初的な仕組みなのだと思う。そしてどちらに動くか、&#8221;いい&#8221;&#8221;悪い&#8221;を区別することが情動の原型ではないだろうか。知能と情動は一体化したものなのだ。 その線虫は敵の匂いを嗅がせると匂いが無くなった後でもしばらく動揺が収まらない行動をとる。情動の特徴は外からの刺激によって起こされることが多いにもかかわらず、その刺激が無くなった後も感情として長く持続することである。この特徴は線虫から人間にも引き継がれており、だから人間も不機嫌が長続きしてしまうのだ。 母親は「ハクビシン、はがやしいわ（&#8221;はがゆい&#8221;の富山弁）」と食事の間もハクビシンのことを考え不機嫌になっていた。線虫から続いている（5.5億年）ものなら、私が何を言ったって収まるときにおさまるしかない。黙って聞いているのが無難だろう。</description>
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<dc:date>2026-05-06T18:55:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin177806143417965500" class="cms-content-parts-sin177806143417973300"><div>実家に住む母親はこの2か月間、天井裏をハクビシンが夜な夜な動き回るのせいですっかり睡眠不足になっていた。</div> <div>古い雪国の家屋にはありがちな隣の家との壁の隙間が非常に狭い構造で、おまけに隣は数十年空き家、当然壁の手入れなどされていなく、朽ちた場所からハクビシンはフリーパスで入ってくる。両隣が空き家の中で、天井裏が暖かい実家はちょうど子育てを始めようとする彼らにとってはビバリーヒルズのような所なのだ。</div> <div>前回のブログで知能とは「生物が環境の中で生存と繁栄のためにどれだけ最適に答えられるか」だと書いた。そう考えるとこれは単なる空き家問題というより、ハクビシンと母親（と駆除業者）の知恵比べにも見えてくる。ということで帰省している間、知能の誕生ついて考えてみた。</div> <div>35億年前に今いるすべての生物の祖先が誕生してから、まず25億年前に光合成をする生物（現在の植物につながる）が生まれ、次いで20億年前に光合成で出てきた酸素を呼吸する生物（動物につながる）が誕生した。</div> <div>生物が少ないときはのんびりした楽園のような海のなかも、その数が増えるにしたがって、自分が生きる場所を確保しなければならず、だんだんバーゲン会場のような熱気を帯びることになった。その頃の生物には肘はないが、もしあれば押しあっていただろう。</div> <div>そして動物がエネルギーを得るには酸素だけでなく糖を必要とする。その糖は他の生物から奪うしかない。呼吸する動物の誕生は「楽園の終わり」を意味していた。</div> <div>そんな軍拡時代の5.5億年前から生きていたのが、線虫（ミミズに似ている）のような左右対称な動物である。ちなみに現在の地球上のほとんどすべての動物が左右対称で、それ以外はイソギンチャクのような放射対称の動物である。もし、地球以外に知的生命体がいるとしたら、ボディプラン（身体の形）は左右対称であろうと考えられている。ハリウッドはこの点では正しかった。エイリアンにしてもプレデターにしても左右対称だ。</div> <div>左右対称の動物が繁栄した理由の一つは、この形なら進む、向きを変えるという2点だけで、どんな空間も効率よく移動できるからだ。何か乗り物を思い浮かべて欲しい。ほとんどすべては左右対称だろう。もう一つはこの運動を可能にするために脳が生まれたことだ。</div> <div>線虫は302個の神経細胞からなる脳を持つ（人間は860億）。この302個でエサの匂いが強まったら進み、匂いが弱まったら向きを変える、光を避け、快適な温度へ移動し、安全な足場を選ぶなど、環境に対して一貫したルールで行動し、結果として生存確率を上げている。これが、知能の最も原初的な仕組みなのだと思う。そしてどちらに動くか、&#8221;いい&#8221;&#8221;悪い&#8221;を区別することが情動の原型ではないだろうか。知能と情動は一体化したものなのだ。</div> <div>その線虫は敵の匂いを嗅がせると匂いが無くなった後でもしばらく動揺が収まらない行動をとる。情動の特徴は外からの刺激によって起こされることが多いにもかかわらず、その刺激が無くなった後も感情として長く持続することである。この特徴は線虫から人間にも引き継がれており、だから人間も不機嫌が長続きしてしまうのだ。</div> <div>母親は「ハクビシン、はがやしいわ（&#8221;はがゆい&#8221;の富山弁）」と食事の間もハクビシンのことを考え不機嫌になっていた。線虫から続いている（5.5億年）ものなら、私が何を言ったって収まるときにおさまるしかない。黙って聞いているのが無難だろう。</div></div>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2026/04/89996/">
<title>エイリアンが教えてくれたこと</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2026/04/89996/</link>
<description>
ミツバチは巣が手狭になり新しい巣が必要になると、元の巣の女王バチは群れの半分を連れて新天地に移り、そこでまた繁殖を始める。この&#8221;分蜂&#8221;というミツバチの生態を、宇宙規模のスケールで魅せてくれるのが映画『エイリアン２』だ。
エイリアンはエサ（人間）のいる星から星へと移動する。女王が卵を産み、それがエサとなる人間に寄生し、胸から幼体として出てくると爆発的なスピードで成体となる。

（女王エイリアンと主人公が出会うシーン）
星から星へ移動するには、宇宙船を開発しなくてはならず、少なくとも数学や物理の知識がエイリアンの種としては必要なはず。人に寄生してから数時間で成体＝大人になる彼らは、一体いつ学んでいるのか？教育を受ける暇もなく繁殖に突き進む彼らを見ていると、知能とは一体何なのか？と考えてみたくなった。

知能を知るのに「エイリアンシリーズ」をすべて見る必要はない。地球には様々な生物があふれている。
例えばミツバチはエサのありかを太陽の位置を計算し、ダンスで仲間にを伝える。ツバメは地磁気を感じ数千キロの旅を正確にこなす。Youtubeのイヌネコ動画に出ている彼らは、&#8221;かわいい&#8221;の概念なんてないはずなのに、どうすれば飼い主（と私）がメロメロになるかを知っているようだ。なんて賢いんだ！
これらは種として最適化された「ハードウェアに組み込まれた知能」（本能）であろう、人間だって真っ白な状態で生まれてくるわけではない。例えば、他者の感情や行動を自分が体験したように感じるミラーニューロンが人には生まれつき備わっており、「他者の意図を読む力」があらかじめインストールされている。その基盤に加え、学習によって高度に社会的に協力できるようになり、その産物として宇宙船があるのではないだろうか。「化け物！」と主人公に言われるエイリアンも、シガニーウィーバー演じる主人公が女王の産んだ卵を火炎銃で焼く素振りを見せると、兵隊エイリアンは主人公を襲うのを躊躇した。他人の意図を十分くみ取っているではないか！
星から星へ移動できるエイリアンなら、きっと友達もいて仕事もあって、恋愛もしているのではないだろうか？ま、これでは映画にならないが。
知能とはその&#8221;生物が環境のなかで、生存と繁栄のためにどれだけ最適に答えられるか&#8221;と言うことになるかと思う。それは生きている間、問われ続けている柔軟なものだ。だからきっと自分が知能が高いと思った時点で柔軟性は失われ、バカの口が開いてしまうのだと思う。

</description>
<dc:creator></dc:creator>
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<dc:date>2026-04-22T10:20:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin177682104303736800" class="cms-content-parts-sin177682104303744600">
<div>ミツバチは巣が手狭になり新しい巣が必要になると、元の巣の女王バチは群れの半分を連れて新天地に移り、そこでまた繁殖を始める。この&#8221;分蜂&#8221;というミツバチの生態を、宇宙規模のスケールで魅せてくれるのが映画『エイリアン２』だ。</div>
<div>エイリアンはエサ（人間）のいる星から星へと移動する。女王が卵を産み、それがエサとなる人間に寄生し、胸から幼体として出てくると爆発的なスピードで成体となる。<br />
<img src="https://www.tsurita.com/images/blog/2026/04/IMG_4750.jpeg" width="320" height="240" alt="" /><br />
（女王エイリアンと主人公が出会うシーン）</div>
<div>星から星へ移動するには、宇宙船を開発しなくてはならず、少なくとも数学や物理の知識がエイリアンの種としては必要なはず。人に寄生してから数時間で成体＝大人になる彼らは、一体いつ学んでいるのか？教育を受ける暇もなく繁殖に突き進む彼らを見ていると、知能とは一体何なのか？と考えてみたくなった。</div>
<div></div>
<div>知能を知るのに「エイリアンシリーズ」をすべて見る必要はない。地球には様々な生物があふれている。</div>
<div>例えばミツバチはエサのありかを太陽の位置を計算し、ダンスで仲間にを伝える。ツバメは地磁気を感じ数千キロの旅を正確にこなす。Youtubeのイヌネコ動画に出ている彼らは、&#8221;かわいい&#8221;の概念なんてないはずなのに、どうすれば飼い主（と私）がメロメロになるかを知っているようだ。なんて賢いんだ！</div>
<div>これらは種として最適化された「ハードウェアに組み込まれた知能」（本能）であろう、人間だって真っ白な状態で生まれてくるわけではない。例えば、他者の感情や行動を自分が体験したように感じるミラーニューロンが人には生まれつき備わっており、「他者の意図を読む力」があらかじめインストールされている。その基盤に加え、学習によって高度に社会的に協力できるようになり、その産物として宇宙船があるのではないだろうか。「化け物！」と主人公に言われるエイリアンも、シガニーウィーバー演じる主人公が女王の産んだ卵を火炎銃で焼く素振りを見せると、兵隊エイリアンは主人公を襲うのを躊躇した。他人の意図を十分くみ取っているではないか！</div>
<div>星から星へ移動できるエイリアンなら、きっと友達もいて仕事もあって、恋愛もしているのではないだろうか？ま、これでは映画にならないが。</div>
<div>知能とはその&#8221;生物が環境のなかで、生存と繁栄のためにどれだけ最適に答えられるか&#8221;と言うことになるかと思う。それは生きている間、問われ続けている柔軟なものだ。だからきっと自分が知能が高いと思った時点で柔軟性は失われ、バカの口が開いてしまうのだと思う。</div>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2026/04/89995/">
<title>結果報告</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2026/04/89995/</link>
<description>前回、前々回で話題にした&#8221;骨&#8221;と&#8221;筋肉&#8221;は、自分にどれだけ蓄えられているか？をどうやって知るのだろうか？実は沼津市は保健センターで計測可能なのである。 耳石のめまいで来た80歳過ぎの女性に、骨粗しょう症の話をしたら「そこは盲点だった！」と整形に受診、症状が無いからと言うことで保健センターを紹介されたという経緯から知ったのだった。 予約した時は、大げさに言えば&#8221;過去の自分にケリをつける&#8221;くらいの気持ちだった。骨格の大部分が20代初めまでに作られるので、10代の頃、熱にうなされたかのように細身に憧れ、無理なダイエットをし、骨をダメにしたろうと、骨に対しては後ろめたかった。それに運動はしているが重力負荷が無い水泳は骨を強くしない。スカスカならスカスカでいいじゃないか、現状を認識してこそ対策はとれる。 結果 横軸の年齢に沿って下がっていく黒い線がそれぞれの年齢での平均で、57歳の私の点は同年代よりはるかに上で20代と同等という結果だった。骨は、新しい骨を作る細胞と、古い骨を壊しては除去する細胞と共同作業で骨はできていく。私の骨は、何度も壊されては作られ、頑固な大工がやったような強い骨組みとなっていたのだった。 体組成、体幹の結果。 体幹の筋肉が弱いと判明し、保健師さんから、栄養、運動などの助言をもらえた。しかもタダで。そんな手厚い行政サービスですので予約制（詳しい内容）です。ご注意を。 ただ、ふっと考えてみる。骨が強く筋肉があればそれでいいのか？と。 もし、エイリアンが地球を征服してしまい、母星で地球の生き物の動物園を作るとしたなら、ヒトの展示は群れで暮らすようにすると思う。孤独を感じることは辛いものだとは薄々気が付いていたが、孤立すると、老いが早まり血管の病、癌、認知症にかかるリスクが高く、喫煙と同等だそうだ。 孤独の健康問題への影響が顕わになり、イギリスでは孤独担当大臣（ミニスターオブロンリネス）がいるそうな。 人は家族、友人、社会とのつながり、この3つをすべて失った時に孤独になるのかもしれない。そう考えると、老いていくことは少なくとも社会とのつながりが先細ることでもあるから、若者と比較すると孤独の危険は高い。そして孤独による悪影響は大勢の中にいても孤独を感じ人にでやすい。一人なのか、独りなのか、主観的なものだそうだ。 骨や筋肉は身体を支えてくれはする。だが、内面を支えているのはコミュニケーションから生まれる人とつながっている感なのだと思う。あぁ、この難易度の高い人生は続く。 &#160;</description>
<dc:creator></dc:creator>
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<dc:date>2026-04-09T06:55:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin177568542469419100" class="cms-content-parts-sin177568542469426200"><div>前回、前々回で話題にした&#8221;骨&#8221;と&#8221;筋肉&#8221;は、自分にどれだけ蓄えられているか？をどうやって知るのだろうか？実は沼津市は保健センターで計測可能なのである。</div> <div>耳石のめまいで来た80歳過ぎの女性に、骨粗しょう症の話をしたら「そこは盲点だった！」と整形に受診、症状が無いからと言うことで保健センターを紹介されたという経緯から知ったのだった。</div> <div>予約した時は、大げさに言えば&#8221;過去の自分にケリをつける&#8221;くらいの気持ちだった。骨格の大部分が20代初めまでに作られるので、10代の頃、熱にうなされたかのように細身に憧れ、無理なダイエットをし、骨をダメにしたろうと、骨に対しては後ろめたかった。それに運動はしているが重力負荷が無い水泳は骨を強くしない。スカスカならスカスカでいいじゃないか、現状を認識してこそ対策はとれる。</div> <div>結果<br /> <img src="https://www.tsurita.com/images/blog/2026/04/IMG_4735.jpeg" width="240" height="320" alt="" /></div> <div>横軸の年齢に沿って下がっていく黒い線がそれぞれの年齢での平均で、57歳の私の点は同年代よりはるかに上で20代と同等という結果だった。骨は、新しい骨を作る細胞と、古い骨を壊しては除去する細胞と共同作業で骨はできていく。私の骨は、何度も壊されては作られ、頑固な大工がやったような強い骨組みとなっていたのだった。<br /> <img src="https://www.tsurita.com/images/blog/2026/04/IMG_4740.jpeg" width="240" height="320" alt="" /></div> <div></div> <div></div> <div>体組成、体幹の結果。<br /> 体幹の筋肉が弱いと判明し、保健師さんから、栄養、運動などの助言をもらえた。しかもタダで。そんな手厚い行政サービスですので予約制（<a href="https://www.city.numazu.shizuoka.jp/kurashi/health/kenko_hoken/seikatsushukan/doc/kenkoudo_sokutei.pdf">詳しい内容</a>）です。ご注意を。</div> <div>ただ、ふっと考えてみる。骨が強く筋肉があればそれでいいのか？と。</div> <div>もし、エイリアンが地球を征服してしまい、母星で地球の生き物の動物園を作るとしたなら、ヒトの展示は群れで暮らすようにすると思う。孤独を感じることは辛いものだとは薄々気が付いていたが、孤立すると、老いが早まり血管の病、癌、認知症にかかるリスクが高く、喫煙と同等だそうだ。</div> <div>孤独の健康問題への影響が顕わになり、イギリスでは孤独担当大臣（ミニスターオブロンリネス）がいるそうな。</div> <div>人は家族、友人、社会とのつながり、この3つをすべて失った時に孤独になるのかもしれない。そう考えると、老いていくことは少なくとも社会とのつながりが先細ることでもあるから、若者と比較すると孤独の危険は高い。そして孤独による悪影響は大勢の中にいても孤独を感じ人にでやすい。一人なのか、独りなのか、主観的なものだそうだ。</div> <div>骨や筋肉は身体を支えてくれはする。だが、内面を支えているのはコミュニケーションから生まれる人とつながっている感なのだと思う。あぁ、この難易度の高い人生は続く。</div> <div></div> <p>&#160;</p></div>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2026/03/89994/">
<title>握力</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2026/03/89994/</link>
<description>私が口を酸っぱくして言ってきたせいか、若いスタッフも&#8221;老後の蓄え&#8221;として投資を始めているようだ。最近のアメリカの経済は、トランプ政権によるイランへの軍事行動を反映して低迷気味だ。その影響をモロに受けている一番若いスタッフが落ち込んでいるので「全力で握りしめろ」とアドバイスしてみた。今、手を離してはいけない。私より彼女には豊富にあるもの＝&#8221;時間&#8221;を味方につけて豊かな老後を迎えて欲しい。 若い人にとってはきつい思考のエクササイズが投資だろう。人が持つ、「未来に利益を確保できる可能性が高くても、すぐに得られる満足の方を選ぶ生まれつきの傾向」に逆らわなければならないのだから。 さて、ここは経済ブログではなくて健康ブログ（のつもり）なので、いくら蓄えるか？より老後に何を蓄えておくか？を今回は考えてみたい。 前回のブログで強調した骨折、骨折する前には転倒がある。高齢者は転倒がきっかけで動けなくなる。この転倒を予防してくれるものは何だろう？ 日本人は年をとると&#8221;がん&#8221;&#8221;心血管&#8221;&#8221;脳血管&#8221;&#8221;認知症&#8221;で悩まされることが多い。これらすべてを予防する薬はある！それは&#8221;運動&#8221;だ。では運動するに必要なものは何か？ この2つの質問の答えは&#8221;筋肉&#8221;だ。 考えてみれば筋肉と資産はよく似ている。 若い頃は筋肉のありがたみを全くと言っていいほど感じない。何もしなくても維持され、無理しても次の日には戻っている。黙っていても利子がついているようなものだ。 しかし、この資産は年を経ると取り崩されていく。10日も寝たきりになればかなりの筋肉を失うし、78歳以上だとそもそも増えない。失うのは一瞬で、積み上げるには時間を味方にしなければならない。老後の蓄えとして資産形成と同様、筋肉形成が必要になると思う。 残りの人生で困らないために、十分な筋肉と骨密度を私は準備したいと思っている。 正直筋トレは苦手だ。でも&#8221;今楽しんでいる生活を継続する&#8221;という未来の利益のために、&#8221;サボりたい&#8221;というすぐ得られる利益に逆らわなければならない。幸い、資産形成と違い筋肉形成は世界情勢に左右されない。トランプが何をしでかしても暴落は自分次第で、毎日&#8221;健康的に1日を終えられた満足&#8221;というリターンを受けられる。 最後にどんな筋トレから始めればいいの？と模索していたら、寿命は&#8221;握力&#8221;で予測できるという。握力は単に手の力だけではなく、全身の健康状態を反映しており、握力が弱いと認知症のリスクも高まるそうな。 我が家には5㎏のダンベルがある。それを握り筋トレ嫌いの自分に言う「全力で握りしめろ」と。 </description>
<dc:creator></dc:creator>
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<dc:date>2026-03-25T10:20:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin177440217301960800" class="cms-content-parts-sin177440217301967900"><div>私が口を酸っぱくして言ってきたせいか、若いスタッフも&#8221;老後の蓄え&#8221;として投資を始めているようだ。最近のアメリカの経済は、トランプ政権によるイランへの軍事行動を反映して低迷気味だ。その影響をモロに受けている一番若いスタッフが落ち込んでいるので「全力で握りしめろ」とアドバイスしてみた。今、手を離してはいけない。私より彼女には豊富にあるもの＝&#8221;時間&#8221;を味方につけて豊かな老後を迎えて欲しい。<br /> 若い人にとってはきつい思考のエクササイズが投資だろう。人が持つ、「未来に利益を確保できる可能性が高くても、すぐに得られる満足の方を選ぶ生まれつきの傾向」に逆らわなければならないのだから。</div> <div>さて、ここは経済ブログではなくて健康ブログ（のつもり）なので、いくら蓄えるか？より老後に何を蓄えておくか？を今回は考えてみたい。</div> <div>前回のブログで強調した骨折、骨折する前には転倒がある。高齢者は転倒がきっかけで動けなくなる。この転倒を予防してくれるものは何だろう？</div> <div>日本人は年をとると&#8221;がん&#8221;&#8221;心血管&#8221;&#8221;脳血管&#8221;&#8221;認知症&#8221;で悩まされることが多い。これらすべてを予防する薬はある！それは&#8221;運動&#8221;だ。では運動するに必要なものは何か？<br /> この2つの質問の答えは&#8221;筋肉&#8221;だ。</div> <div>考えてみれば筋肉と資産はよく似ている。</div> <div>若い頃は筋肉のありがたみを全くと言っていいほど感じない。何もしなくても維持され、無理しても次の日には戻っている。黙っていても利子がついているようなものだ。</div> <div>しかし、この資産は年を経ると取り崩されていく。10日も寝たきりになればかなりの筋肉を失うし、78歳以上だとそもそも増えない。失うのは一瞬で、積み上げるには時間を味方にしなければならない。老後の蓄えとして資産形成と同様、筋肉形成が必要になると思う。</div> <div>残りの人生で困らないために、十分な筋肉と骨密度を私は準備したいと思っている。<br /> 正直筋トレは苦手だ。でも&#8221;今楽しんでいる生活を継続する&#8221;という未来の利益のために、&#8221;サボりたい&#8221;というすぐ得られる利益に逆らわなければならない。幸い、資産形成と違い筋肉形成は世界情勢に左右されない。トランプが何をしでかしても暴落は自分次第で、毎日&#8221;健康的に1日を終えられた満足&#8221;というリターンを受けられる。</div> <div>最後にどんな筋トレから始めればいいの？と模索していたら、寿命は&#8221;握力&#8221;で予測できるという。握力は単に手の力だけではなく、全身の健康状態を反映しており、握力が弱いと認知症のリスクも高まるそうな。<br /> 我が家には5㎏のダンベルがある。それを握り筋トレ嫌いの自分に言う「全力で握りしめろ」と。<br /></div> <div></div></div>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2026/03/89993/">
<title>アニバーサリー</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2026/03/89993/</link>
<description>
MI（ﾐｯｼｮﾝｲﾝﾎﾟｯｼﾌﾞﾙ）-１のクライマックスでは、ジャンレノ（代表作レオン）扮するワル役がヘリコプターを操作して回転するプロペラを剣のようにトム・クルーズに突き付けるシーンがある。私が介護認定審査会の資料を読んでいると、否が応でもこのシーンが頭に浮かんでくる。
審査会の資料にある黄金パターンはこうだ。「高齢女性で圧迫骨折で入院。動けないことをきっかけに物忘れがひどくなり自宅には戻れず施設へ。介護が必要となり申請」今回の資料でも申請した女性の70%は骨粗しょう症からの椎体骨折や変形性関節症などの動けなくなる病気を抱えていた。それまで自分のことは自分でやれたのに、「介護度4、期間36か月」と人生最後の数年を健康度が低く、人にお世話してもらう生活に、私はなりたくはない。この&#8221;老いての骨折は自立して生活することを奪う&#8221;という事実が、自分に突き付けられている気がするのだ。
さて骨粗しょう症は骨がスカスカになり強度が落ちる病気と言うことを考えると、骨折は骨粗しょう症の始まりではなくて最終到達点と言える。こうなる前に、何とか気が付けないものか？実はできるのである。それも耳鼻科の病気で。
頭位性めまいは耳石が崩れて、半規管に迷入することが大きな原因だ（過去のブログ）。耳石がカルシウムの結晶なので、骨粗しょう症が起れば、当然頭位性めまいを発症しやすくなる。それが証拠に、頭位性めまいと診断する人のほとんどが更年期過ぎの女性だ。女性ホルモンは骨の強度を維持しようと働いてくれるので、生理がある間は骨は丈夫でいられる。自然は非情なところもあって、生殖できない骨格の維持には無駄な手を貸さないのだ。
更年期という始発駅から骨折列車は発進する。乗っている本人は知らないままで。&#8221;男だから大丈夫&#8221;は通じない。年を経た夫婦は運命共同体だ。妻が骨折すれば介護は当然夫に比重がかかる。男性は骨折列車に引かれている貨物車くらいに思おう。
骨折列車はあるものは鈍行であるものは快速だろう。きっと頭位性めまいはこの列車の存在を自分に告げる病気なのだ。なってしまえば、なぜ骨がスカスカになるまでに気が付かないでいたの、と思うだろう。めまいの辛い日々は骨粗しょう症の予防（運動と食事）を始めようねと言う意味がある。ひたむきに骨を丈夫にするように頑張ればめまいも優しい昨日になる。青春が終わって更年期にいる、骨折列車を知る、頭位性めまいになった日は記念日。

</description>
<dc:creator></dc:creator>
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<dc:date>2026-03-13T19:15:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin177339722140474800" class="cms-content-parts-sin177339722140483200">
<div>MI（ﾐｯｼｮﾝｲﾝﾎﾟｯｼﾌﾞﾙ）-１のクライマックスでは、ジャンレノ（代表作レオン）扮するワル役がヘリコプターを操作して回転するプロペラを剣のようにトム・クルーズに突き付けるシーンがある。私が介護認定審査会の資料を読んでいると、否が応でもこのシーンが頭に浮かんでくる。</div>
<div>審査会の資料にある黄金パターンはこうだ。「高齢女性で圧迫骨折で入院。動けないことをきっかけに物忘れがひどくなり自宅には戻れず施設へ。介護が必要となり申請」今回の資料でも申請した女性の70%は骨粗しょう症からの椎体骨折や変形性関節症などの動けなくなる病気を抱えていた。それまで自分のことは自分でやれたのに、「介護度4、期間36か月」と人生最後の数年を健康度が低く、人にお世話してもらう生活に、私はなりたくはない。この&#8221;老いての骨折は自立して生活することを奪う&#8221;という事実が、自分に突き付けられている気がするのだ。</div>
<div>さて骨粗しょう症は骨がスカスカになり強度が落ちる病気と言うことを考えると、骨折は骨粗しょう症の始まりではなくて最終到達点と言える。こうなる前に、何とか気が付けないものか？実はできるのである。それも耳鼻科の病気で。</div>
<div>頭位性めまいは耳石が崩れて、半規管に迷入することが大きな原因だ（<a href="https://www.tsurita.com/news/2021/05/89828/">過去のブログ</a>）。耳石がカルシウムの結晶なので、骨粗しょう症が起れば、当然頭位性めまいを発症しやすくなる。それが証拠に、頭位性めまいと診断する人のほとんどが更年期過ぎの女性だ。女性ホルモンは骨の強度を維持しようと働いてくれるので、生理がある間は骨は丈夫でいられる。自然は非情なところもあって、生殖できない骨格の維持には無駄な手を貸さないのだ。</div>
<div>更年期という始発駅から骨折列車は発進する。乗っている本人は知らないままで。&#8221;男だから大丈夫&#8221;は通じない。年を経た夫婦は運命共同体だ。妻が骨折すれば介護は当然夫に比重がかかる。男性は骨折列車に引かれている貨物車くらいに思おう。</div>
<div>骨折列車はあるものは鈍行であるものは快速だろう。きっと頭位性めまいはこの列車の存在を自分に告げる病気なのだ。なってしまえば、なぜ骨がスカスカになるまでに気が付かないでいたの、と思うだろう。めまいの辛い日々は骨粗しょう症の予防（運動と食事）を始めようねと言う意味がある。ひたむきに骨を丈夫にするように頑張ればめまいも優しい昨日になる。青春が終わって更年期にいる、骨折列車を知る、頭位性めまいになった日は記念日。</div>
<div></div>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2026/03/89992/">
<title>1年で一番長い日</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2026/03/89992/</link>
<description>「これから半日以上、君らは一年間で最も多い患者さんを受け入れることになる。花粉が大量に飛散して迎えるこの土曜、この日のために他の日があると言ってもいい。&#8221;無事に家に帰る&#8221;この一つの目的のために私たちは結ばれる。これはもう耳鼻科に勤める君たちの宿命だ。君たちは集中する。罵詈雑言、ルール無用に心折れることなく最後の患者さんを送ろう。我々は自分との戦いに勝ち、生き残る。それが今日、花粉記念日だ」なんて、どこかの大統領のように演説したくなるのが、２月の最終土曜日の朝礼だ。（一応、似たようなことを言ってみた） 患者さんからも「6時50分に起きて、7時の予約のボタンをしたら、70番だった」と言われ、レディガガのドーム公演並み！？と突っ込んでみるが、時間を割けない私と違ってガガ様は3時間近く歌って踊ってくれたそうである。 代わりにこのブログでストックしてあるアレルギー関連の小ネタを披露してみよう。採血で子供のアレルギー反応がたくさん出て落ち込んでいる親御さんには、アレルギー反応を推進する遺伝子が欠損しているマウスは物覚えが悪いという実験結果が出たことを伝えたい。この遺伝子が記憶という脳内の処理に関わっている可能性があり、世界大学ランキングで14年連続堂々1位で全米最難関のマサチューセッツ工科大学生は、実際ほぼ全員がアレルギー持ちだという。ちょっと救われないか？ 大学の耳鼻科の授業でアレルギー性鼻炎に割かれた時間は1分にも満たなかった。そして試験にも出ない。働いてから30年で3例くらいしか出会わなかった耳硬化症、これは耳疾患の中で一番低い確率なのだが、これには15分くらい時間を割かれ試験に出た。 30年前に世界がこんなに変化して、人間の身体がそれについていけないなんて誰が想像しただろう。 そして年々増え続け、低年齢化するアレルギー性鼻炎を思うと患者さんのニーズと、私たちが提案できる治療はまだまだアンバランスだ。スギ、ダニの舌下免疫治療は効果はある。しかし習慣化できない人は多い。 人は必ずしも自分にとって最良のことをするわけではない、特に自分自身を根本から変えなければならない場合には。と思い知らされる。 ゾレアの免疫製剤注射にしても病院側のハードルは高い。予約をキャンセルされたら、返品不可の1本数万円の薬代を当院が負担するはめになる。「大丈夫な人だろう」と私が感じられない間は治療を決められないと思う。 14時でもまだ70人くらいは残っていた。その頃になると、強固な心も壊れてくる。ラスト20人で「ここから本番だと思おう！」と割と大きめに声をかけたが、誰も返事はしなかった。それでいい、安直な返事ならしないでよろしい。この言葉は私自身に言っている。 16時を過ぎて最後の患者さんを見送り、今日の仕事が終わったハイテンションの彼女たちに「今日は充実したでしょ。働く喜びを感じたでしょ。それってプライスレス！」と演説したら、「そんなわけにはいかない！」と今度は返事があったよ。</description>
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<dc:date>2026-03-01T16:50:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin177235187943779500" class="cms-content-parts-sin177235187943787300"><div>「これから半日以上、君らは一年間で最も多い患者さんを受け入れることになる。花粉が大量に飛散して迎えるこの土曜、この日のために他の日があると言ってもいい。&#8221;無事に家に帰る&#8221;この一つの目的のために私たちは結ばれる。これはもう耳鼻科に勤める君たちの宿命だ。君たちは集中する。罵詈雑言、ルール無用に心折れることなく最後の患者さんを送ろう。我々は自分との戦いに勝ち、生き残る。それが今日、花粉記念日だ」なんて、どこかの大統領のように演説したくなるのが、２月の最終土曜日の朝礼だ。（一応、似たようなことを言ってみた）</div> <div>患者さんからも「6時50分に起きて、7時の予約のボタンをしたら、70番だった」と言われ、レディガガのドーム公演並み！？と突っ込んでみるが、時間を割けない私と違ってガガ様は3時間近く歌って踊ってくれたそうである。</div> <div>代わりにこのブログでストックしてあるアレルギー関連の小ネタを披露してみよう。採血で子供のアレルギー反応がたくさん出て落ち込んでいる親御さんには、アレルギー反応を推進する遺伝子が欠損しているマウスは物覚えが悪いという実験結果が出たことを伝えたい。この遺伝子が記憶という脳内の処理に関わっている可能性があり、世界大学ランキングで14年連続堂々1位で全米最難関のマサチューセッツ工科大学生は、実際ほぼ全員がアレルギー持ちだという。ちょっと救われないか？</div> <div>大学の耳鼻科の授業でアレルギー性鼻炎に割かれた時間は1分にも満たなかった。そして試験にも出ない。働いてから30年で3例くらいしか出会わなかった耳硬化症、これは耳疾患の中で一番低い確率なのだが、これには15分くらい時間を割かれ試験に出た。<br /> 30年前に世界がこんなに変化して、人間の身体がそれについていけないなんて誰が想像しただろう。<br /> そして年々増え続け、低年齢化するアレルギー性鼻炎を思うと患者さんのニーズと、私たちが提案できる治療はまだまだアンバランスだ。スギ、ダニの舌下免疫治療は効果はある。しかし習慣化できない人は多い。<br /> 人は必ずしも自分にとって最良のことをするわけではない、特に自分自身を根本から変えなければならない場合には。と思い知らされる。<br /> ゾレアの免疫製剤注射にしても病院側のハードルは高い。予約をキャンセルされたら、返品不可の1本数万円の薬代を当院が負担するはめになる。「大丈夫な人だろう」と私が感じられない間は治療を決められないと思う。</div> <div>14時でもまだ70人くらいは残っていた。その頃になると、強固な心も壊れてくる。ラスト20人で「ここから本番だと思おう！」と割と大きめに声をかけたが、誰も返事はしなかった。それでいい、安直な返事ならしないでよろしい。この言葉は私自身に言っている。</div> <div>16時を過ぎて最後の患者さんを見送り、今日の仕事が終わったハイテンションの彼女たちに「今日は充実したでしょ。働く喜びを感じたでしょ。それってプライスレス！」と演説したら、「そんなわけにはいかない！」と今度は返事があったよ。</div></div>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2026/02/89991/">
<title>限界に触れる</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2026/02/89991/</link>
<description>&#160;珠洲市は能登半島の先端にある。半島の東側は富山湾へと続き波は穏やかで透明度も高い。そんな珠洲の海を2.4km泳いだ後、自転車に乗り変え半島の最先端に向かい、そこから「ゼロの焦点」で有名な&#8221;ヤセの断崖&#8221;を思わせる荒れた外海側の東を抜けて最大斜度14度の大谷峠を越えたら珠洲の街に戻る。2周もすれば約100㎞。そこから24㎞走ればゴールで、1992年の珠洲トライアスロンは私が参加した一番長い大会である。 トライアスロンをやらない人にとっては無限の体力を謳歌しているように見えるだろうが、やっている本人は有限の体力をどう分配するかを腐心していた。調子が良いからと一つの種目で体力を出し過ぎると、&#8221;決して自転車を降りない、歩かないで完走する&#8221;私の目的が達成できなくなる。 (在りし日の私。43分泳いで自転車に向かうところ） さて、前々回のブログで「意思決定のためには感情は使われ、使い過ぎると疲労する」と書いた。もっと使い過ぎると「燃え尽き症候群（バーンアウト）」という感情が消耗して、これ以上の消耗を防ぐために感情を使うことができなくなる状態に陥る。体力と同様、感情も資源であり限界を持つ。 「燃え尽き症候群」はトライアスロンではリタイアに相当するのだろう。どちらもリタイアするのは自分の心か体を守るために他ならない。 リタイヤせずに完走の満足感を得るにはある程度の苦労、つまり限界に触れてみることも必要になる。「燃え尽き症候群」は心を尽くそうとしたから生まれるもので、トライアスロンもゴールまでが過酷だからこそ完走が意味を持つ。苦しいことは実は避けるべきことではなく、将来に大きな報酬を得るための支払うコストなのだ。 2月から3月にかけて開業の耳鼻科は忙しくなる。先日の土曜日は発熱の影響もあって10時半で80人の予約が入っていた。スタッフが「今日は予約がいつもより多いです。受付どうします？」と聞いてきたので、しばし手を止め遠い目で「私、トライアスロンやっていたんだよね」とつぶやく。「なんか今、峠を立ちこぎしている感じだよ。誰か私をリタイアするよう説得してくれ！」と答えると、彼女の顔に少し絶望の表情が浮かび沈黙した。 11時を過ぎると発熱も一段落して花粉対策の受診が増えてコンスタントに残り患者さんは減っていくが、13時前で残り40人は最後のランに入った頃か。発熱の駐車場診療で端から端の数十メートルの移動をグチると、さっきのスタッフに「トライアスロンやっていたんでしょ」とおしりを叩かれた。面目ない。 結局その日は受付けも止めず、自分なりの目的を達成し家に帰った。 朝8時に家を出て帰るまでの時間は珠洲のトライアスロンのゴール時間と同じだった。 </description>
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<dc:date>2026-02-18T08:15:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin177137053222209000" class="cms-content-parts-sin177137053222255800"><p>&#160;<span style="letter-spacing: 0.1em;">珠洲市は能登半島の先端にある。半島の東側は富山湾へと続き波は穏やかで透明度も高い。そんな珠洲の海を2.4km泳いだ後、自転車に乗り変え半島の最先端に向かい、そこから「ゼロの焦点」で有名な&#8221;ヤセの断崖&#8221;を思わせる荒れた外海側の東を抜けて最大斜度14度の大谷峠を越えたら珠洲の街に戻る。2周もすれば約100㎞。そこから24㎞走ればゴールで、1992年の珠洲トライアスロンは私が参加した一番長い大会である。</span><br /> トライアスロンをやらない人にとっては無限の体力を謳歌しているように見えるだろうが、やっている本人は有限の体力をどう分配するかを腐心していた。調子が良いからと一つの種目で体力を出し過ぎると、&#8221;決して自転車を降りない、歩かないで完走する&#8221;私の目的が達成できなくなる。<br /> <img src="https://www.tsurita.com/images/blog/2026/02/IMG_4716.JPG" width="480" height="640" alt="" /><br /> (在りし日の私。43分泳いで自転車に向かうところ）</p> <div></div> <div>さて、前々回のブログで「意思決定のためには感情は使われ、使い過ぎると疲労する」と書いた。もっと使い過ぎると「燃え尽き症候群（バーンアウト）」という感情が消耗して、これ以上の消耗を防ぐために感情を使うことができなくなる状態に陥る。体力と同様、感情も資源であり限界を持つ。</div> <div>「燃え尽き症候群」はトライアスロンではリタイアに相当するのだろう。どちらもリタイアするのは自分の心か体を守るために他ならない。<br /> リタイヤせずに完走の満足感を得るにはある程度の苦労、つまり限界に触れてみることも必要になる。「燃え尽き症候群」は心を尽くそうとしたから生まれるもので、トライアスロンもゴールまでが過酷だからこそ完走が意味を持つ。苦しいことは実は避けるべきことではなく、将来に大きな報酬を得るための支払うコストなのだ。<br /> 2月から3月にかけて開業の耳鼻科は忙しくなる。先日の土曜日は発熱の影響もあって10時半で80人の予約が入っていた。スタッフが「今日は予約がいつもより多いです。受付どうします？」と聞いてきたので、しばし手を止め遠い目で「私、トライアスロンやっていたんだよね」とつぶやく。「なんか今、峠を立ちこぎしている感じだよ。誰か私をリタイアするよう説得してくれ！」と答えると、<span style="letter-spacing: 1.6px;">彼女の顔に少し絶望の表情が浮かび沈黙した。<br /> 11時を過ぎると発熱も一段落して花粉対策の受診が増えてコンスタントに残り患者さんは減っていくが、13時前で残り40人は最後のランに入った頃か。発熱の駐車場診療で端から端の数十メートルの移動をグチ</span><span style="letter-spacing: 1.6px;">ると、</span><span style="letter-spacing: 1.6px;">さっきのスタッフに「トライアスロンやっていたんでしょ」とおしりを叩かれた。面目ない。<br /> 結局その日は受付けも止めず、自分なりの目的を達成し家に帰った。<br /> 朝8時に家を出て帰るまでの時間は珠洲のトライアスロンのゴール時間と同じだった。<br /> <br /> <br type="_moz" /> </span></div> <div></div></div>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2026/02/89990/">
<title>私は立った</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2026/02/89990/</link>
<description>
前回のブログでは感情が意思決定を行いやすくする、意思決定の集合体ともいえる仕事は感情作業であり、感情作業が多ければ多いほど疲労すると書いた。今回は感情の別の作用にも焦点を当ててみよう。
その日東部運転免許センターでは小さな違反をした70人ほどが講習を受けていた。もうすぐ1時間の講習が終わり免許証が渡される。5年前とは違い、マイナンバーカードが浸透してきたので、今回は&#8221;従来の免許証&#8221;か&#8221;マイナ免許証&#8221;か、両方を持つ&#8221;2枚持ち&#8221;かを予め申請しておくことになっていた。私は&#8221;2枚持ち&#8221;を選んでいた。制度が導入された直後は「6割の人が&#8221;2枚持ち&#8221;を選択」というニュースが流れていたので特別な選択とも思っていなかった。
講習が終わり、係の人の「まず従来の免許証&#8221;を選んだ人、立って。前の列から順に1列になって教室を出ていってください。&#8221;マイナ免許証&#8221;や&#8221;2枚持ち&#8221;の人はまだ座っていてください」の声にほとんどの人が一斉に立ち上がった。教室の一番後ろの私には座っている人が見えないが、1列づつはけて行く中でご同類も見えてくるだろう、と高をくくっていたが、残り2列になってでもやはり座っている人は見えない。「座っていて。と言うのは聞き間違い？私の勘違い？」と自問自答しはじめ、ついに不安に駆られて立ってしまうと、「&#8221;2枚持ち&#8221;はまだ座っていて。今日の申請はあなただけが&#8221;2枚持ち&#8221;だったから」と係員にいさめられた。
免許センターでは、想定外のことで爆発寸前になった&#8221;不安&#8221;感が私を立ち上がらせた。このように感情は予期せぬことが起った時には強く誘発される。そしてその物事を記憶に刻み込む。なぜか？次に同じことが身に降りかかった時に、少しはマシな判断をするためである。そしてこれが学習の本質であろう。感情は学習を助けてくれる。
一番最後に免許証が渡された帰り道、同調圧力に負けてしまったことに&#8221;後悔&#8221;した。後悔は割と強い感情で、こうやって書きながらも、ものすごく悔しい。この悔しさがあるからこそ、「あ、今、私は流されかけている」と次は気が付けるかもしれない。（「同調圧力に屈しない！」と言えるまでの自信は残念ながら今の私にはない）
もし、ここで「しょうがないよな」と状況のせいにして、自分を正当化していたら同じ間違いを将来も繰り返すのだろう。それで言うとSNSは膨大な意見が流れる、同調増幅マシーンのようなものだ。むしろ安心したくて同じ意見にまみれたいから、SNSをするのかもしれないけど。
自分の意思決定を他人の頭に預けると、感情が教えてくれたはずの学習の機会を逃してしまうことで成長が失われる。つまり、失敗の本質とは失敗そのものよりも、学習しないことにあると思う。
私は立った。そして後悔した。それが未来の行動を変える力になるだろう。

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<dc:date>2026-02-08T17:40:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin177054019861618500" class="cms-content-parts-sin177054019861626500">
<div>前回のブログでは感情が意思決定を行いやすくする、意思決定の集合体ともいえる仕事は感情作業であり、感情作業が多ければ多いほど疲労すると書いた。今回は感情の別の作用にも焦点を当ててみよう。</div>
<div>その日東部運転免許センターでは小さな違反をした70人ほどが講習を受けていた。もうすぐ1時間の講習が終わり免許証が渡される。5年前とは違い、マイナンバーカードが浸透してきたので、今回は&#8221;従来の免許証&#8221;か&#8221;マイナ免許証&#8221;か、両方を持つ&#8221;2枚持ち&#8221;かを予め申請しておくことになっていた。私は&#8221;2枚持ち&#8221;を選んでいた。制度が導入された直後は「6割の人が&#8221;2枚持ち&#8221;を選択」というニュースが流れていたので特別な選択とも思っていなかった。</div>
<div>講習が終わり、係の人の「まず従来の免許証&#8221;を選んだ人、立って。前の列から順に1列になって教室を出ていってください。&#8221;マイナ免許証&#8221;や&#8221;2枚持ち&#8221;の人はまだ座っていてください」の声にほとんどの人が一斉に立ち上がった。教室の一番後ろの私には座っている人が見えないが、1列づつはけて行く中でご同類も見えてくるだろう、と高をくくっていたが、残り2列になってでもやはり座っている人は見えない。「座っていて。と言うのは聞き間違い？私の勘違い？」と自問自答しはじめ、ついに不安に駆られて立ってしまうと、「&#8221;2枚持ち&#8221;はまだ座っていて。今日の申請はあなただけが&#8221;2枚持ち&#8221;だったから」と係員にいさめられた。</div>
<div>免許センターでは、想定外のことで爆発寸前になった&#8221;不安&#8221;感が私を立ち上がらせた。このように感情は予期せぬことが起った時には強く誘発される。そしてその物事を記憶に刻み込む。なぜか？次に同じことが身に降りかかった時に、少しはマシな判断をするためである。そしてこれが学習の本質であろう。感情は学習を助けてくれる。</div>
<div>一番最後に免許証が渡された帰り道、同調圧力に負けてしまったことに&#8221;後悔&#8221;した。後悔は割と強い感情で、こうやって書きながらも、ものすごく悔しい。この悔しさがあるからこそ、「あ、今、私は流されかけている」と次は気が付けるかもしれない。（「同調圧力に屈しない！」と言えるまでの自信は残念ながら今の私にはない）</div>
<div>もし、ここで「しょうがないよな」と状況のせいにして、自分を正当化していたら同じ間違いを将来も繰り返すのだろう。それで言うとSNSは膨大な意見が流れる、同調増幅マシーンのようなものだ。むしろ安心したくて同じ意見にまみれたいから、SNSをするのかもしれないけど。<br />
自分の意思決定を他人の頭に預けると、感情が教えてくれたはずの学習の機会を逃してしまうことで成長が失われる。つまり、失敗の本質とは失敗そのものよりも、学習しないことにあると思う。<br />
私は立った。そして後悔した。<span style="letter-spacing: 1.6px;">それが未来の行動を変える力になるだろう。</span></div>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2026/01/89989/">
<title>疲れの正体</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2026/01/89989/</link>
<description>インフルエンザなど発熱の病が流行しているピーク時には、診察の３分の１が発熱患者だ。そうでない時は10人にも満たない。さぞかし疲れるだろう、と想像するだろうが実のところは同じ人数なら発熱を診る方が疲れない。 似たようなことを大晦日の救急当番でも味わった。耳鼻科の救急は発熱に加え、&#8221;痛い&#8221;&#8221;鼻血&#8221;など、救急的に起こった問題を解決するためにある。患者さん側が救急を受診した目的がクリアーな程、解決する作業もシンプルになるので疲れない。「これくらいなら毎年やれるね」とスタッフに話しかけたら無視されたが。 私たちの脳は1日に35000回選択しているという。何を食べ、何を着て、どう行動するか。一つ一つ吟味しては脳が持たないので便利な機能が生まれつき備わっている。それが&#8221;感情&#8221;だ。 今までもブログで情動と感情については書いてきた。ここであらためて説明すると、例えば草むらでひも状の物を見たら、ドッキっとしてとっさに逃げるだろう。この無意識に遂行される体の反応を&#8221;情動&#8221;といい、その体の反応を脳が意識した状態、ここでなら「怖い」を&#8221;感情&#8221;という。だから情動の後に生まれるのが&#8221;感情&#8221;と言うことになる。怖いからドキドキするのではなく、ドキドキするから怖いのだ。このシステムが備わっていることで生存するのに都合がよいことを過去のブログ（心理学のカテゴリー）では書いてきた。ひもが何かを確かめてから動くようでは毒ヘビにかまれて死んでしまう可能性が高い。今どきヘビなんてっと笑うなかれ、原始的な生活をしている民族では、&#8221;ヘビに咬まれる&#8221;は死因の上位にくる。 今回はもう一つのメリット、選択肢を減らしてくれ、意思決定が行いやすくなる。に焦点をあてよう。 私は今日やよい軒に昼食を食べに行った。そこでは定食メニューが46種類ある。何を食べるか考えると、過去に美味しいかったから&#8221;好きの感情&#8221;を経験したメニューが記憶から呼び起される。それは&#8221;チキン南蛮&#8221;と&#8221;とりカツ&#8221;だ。46種類から２つに絞られた。後は理性が細部を詰め最終的な意思決定を下す「クーポンあるから&#8221;とりカツ&#8221;にしよう」と言う具合に。感情が無かったら、46種類を栄養バランス、コスト、量などなど莫大な選択肢で悩まなければならないところを&#8221;好き&#8221;だけで２種類になるのである。 感情が自分が何をするかの意思決定のためにあるのなら、意思決定の連続である仕事は感情作業と言える。誰もが何をどこまで、どう判断するかを感情に委ねながら働いている。私が疲れないのは、救急や発熱外来は目的がはっきりしているので、感情作業が少ないからだろう。実際に大晦日の救急で一番疲れたのは「のどの痛みはひどくはないのですが、妻が来るので一緒に受診しました。こういう時は大体数日でのどが腫れるので、いつもの病院で薬をもらっていました。同じ薬が欲しいので善処してください」という&#8221;正常なのどの患者&#8221;だった。 思えば、私たちが日々感じている「疲れ」の正体は、肉体の酷使ではなく、この「意思決定」という名の迷宮に迷い込むことにある。 何を選べばよいのか？その選択肢の多さに、意思決定のための&#8221;感情&#8221;という資源が枯渇していくから疲れるのだろう。</description>
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<dc:date>2026-01-28T16:45:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin176958653852613900" class="cms-content-parts-sin176958653852621000"><div>インフルエンザなど発熱の病が流行しているピーク時には、診察の３分の１が発熱患者だ。そうでない時は10人にも満たない。さぞかし疲れるだろう、と想像するだろうが実のところは同じ人数なら発熱を診る方が疲れない。</div> <div></div> <div>似たようなことを大晦日の救急当番でも味わった。耳鼻科の救急は発熱に加え、&#8221;痛い&#8221;&#8221;鼻血&#8221;など、救急的に起こった問題を解決するためにある。患者さん側が救急を受診した目的がクリアーな程、解決する作業もシンプルになるので疲れない。「これくらいなら毎年やれるね」とスタッフに話しかけたら無視されたが。</div> <div></div> <div>私たちの脳は1日に35000回選択しているという。何を食べ、何を着て、どう行動するか。一つ一つ吟味しては脳が持たないので便利な機能が生まれつき備わっている。それが&#8221;感情&#8221;だ。</div> <div></div> <div>今までもブログで情動と感情については書いてきた。ここであらためて説明すると、例えば草むらでひも状の物を見たら、ドッキっとしてとっさに逃げるだろう。この無意識に遂行される体の反応を&#8221;情動&#8221;といい、その体の反応を脳が意識した状態、ここでなら「怖い」を&#8221;感情&#8221;という。だから情動の後に生まれるのが&#8221;感情&#8221;と言うことになる。怖いからドキドキするのではなく、ドキドキするから怖いのだ。このシステムが備わっていることで生存するのに都合がよいことを過去のブログ（<a href="https://www.tsurita.com/news/category/6/">心理学のカテゴリー</a>）では書いてきた。ひもが何かを確かめてから動くようでは毒ヘビにかまれて死んでしまう可能性が高い。今どきヘビなんてっと笑うなかれ、原始的な生活をしている民族では、&#8221;ヘビに咬まれる&#8221;は死因の上位にくる。</div> <div></div> <div>今回はもう一つのメリット、選択肢を減らしてくれ、意思決定が行いやすくなる。に焦点をあてよう。</div> <div></div> <div>私は今日やよい軒に昼食を食べに行った。そこでは定食メニューが46種類ある。何を食べるか考えると、過去に美味しいかったから&#8221;好きの感情&#8221;を経験したメニューが記憶から呼び起される。それは&#8221;チキン南蛮&#8221;と&#8221;とりカツ&#8221;だ。46種類から２つに絞られた。後は理性が細部を詰め最終的な意思決定を下す「クーポンあるから&#8221;とりカツ&#8221;にしよう」と言う具合に。感情が無かったら、46種類を栄養バランス、コスト、量などなど莫大な選択肢で悩まなければならないところを&#8221;好き&#8221;だけで２種類になるのである。</div> <div></div> <div>感情が自分が何をするかの意思決定のためにあるのなら、意思決定の連続である仕事は感情作業と言える。誰もが何をどこまで、どう判断するかを感情に委ねながら働いている。私が疲れないのは、救急や発熱外来は目的がはっきりしているので、感情作業が少ないからだろう。実際に大晦日の救急で一番疲れたのは「のどの痛みはひどくはないのですが、妻が来るので一緒に受診しました。こういう時は大体数日でのどが腫れるので、いつもの病院で薬をもらっていました。同じ薬が欲しいので善処してください」という&#8221;正常なのどの患者&#8221;だった。</div> <div></div> <div>思えば、私たちが日々感じている「疲れ」の正体は、肉体の酷使ではなく、この「意思決定」という名の迷宮に迷い込むことにある。<br /> 何を選べばよいのか？その選択肢の多さに、意思決定のための&#8221;感情&#8221;という資源が枯渇していくから疲れるのだろう。</div></div>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2026/01/89988/">
<title>静寂は金</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2026/01/89988/</link>
<description>&#160;「お前は口から生まれて来た」と祖母によく言われたものだ。強情な逆子だったとも聞かされていたので、いったいどうやって逆子で口から生まれてくるのか？は幼い頃の疑問だった。当時60代の祖母には私はやかましい孫だったのであろう。当然やかましい学生になり、先生や同級生の男子から「うるさい！」とやっぱりよく叱られた。 おしゃべりは損な役回りと言える。会話の間＝静寂を埋め、場の空気を和ませるためにしゃべっている（つもり）にもかかわらず、その場にいる人から「うるさい！」と揶揄されるのだから。 このおしゃべりな性質は生まれであって育ちではなく、脳の制御機能が低いとおしゃべりになる傾向があるという。子供はもともと制御機能が発達途中なことを考えると、私は特別に制御機能が低く、頭の中に静寂が無かったのだろう、それも遺伝的に。祖母は正しかったわけだ。 さて、年を経て頭の中に静寂がようやく生まれてきた私が今年の冬の旅に選んだのは西伊豆だった。（昨年は函館、一昨年は福岡）ここは何もないが静寂だけがある。 （西伊豆の夕方） （夜） 考えてみれば世界で今、静寂なところがどれだけあるだろうか？ 人の身体が許容できる刺激には限度があって、今の環境はそれを超えていると思う。少なくとも私にはそうだ。Youtubeやネットニュースなどで脳が痛めつけられ、大人になってようやくできた頭の中の静寂が破壊されるようだ。その張本人が自分と言うのもなんだか情けないが、日常では難しいので、西伊豆に行って矯正してもらった。 若い頃は診療に間があることが、相手が何を考えているかわからずに不安だった。その不安を解消するためにしゃべるが不安は解消されない。そして無駄に増えていく言葉は伝えたい本質を隠してしまう。私の頭が静寂になれば、もっと伝わる診療になるのではないだろうか？ もう誰かに私の賢さを示さなければならない時間は終わった。私と話すことで誰かを自分が賢くなったような気分にさせる、これからはそんな時間を過ごすのだ。西伊豆の静寂がそう教えてくれた。 </description>
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<dc:date>2026-01-14T16:20:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin176837531791077500" class="cms-content-parts-sin176837531791085700"><p>&#160;<span style="letter-spacing: 0.1em;">「お前は口から生まれて来た」と祖母によく言われたものだ。強情な逆子だったとも聞かされていたので、いったいどうやって逆子で口から生まれてくるのか？は幼い頃の疑問だった。当時60代の祖母には私はやかましい孫だったのであろう。当然やかましい学生になり、先生や同級生の男子から「うるさい！」とやっぱりよく叱られた。</span><br /> おしゃべりは損な役回りと言える。会話の間＝静寂を埋め、場の空気を和ませるためにしゃべっている（つもり）にもかかわらず、その場にいる人から「うるさい！」と揶揄されるのだから。<br /> このおしゃべりな性質は生まれであって育ちではなく、脳の制御機能が低いとおしゃべりになる傾向があるという。子供はもともと制御機能が発達途中なことを考えると、私は特別に制御機能が低く、頭の中に静寂が無かったのだろう、それも遺伝的に。祖母は正しかったわけだ。<br /> <span style="letter-spacing: 1.6px;">さて、年を経て頭の中に静寂がようやく生まれてきた私が今年の冬の旅に選んだのは西伊豆だった。（昨年は<a href="https://www.tsurita.com/news/2025/01/89957/">函館</a>、一昨年は<a href="https://www.tsurita.com/news/2024/01/89923/">福岡</a>）ここは何もないが静寂だけがある。<br /> <img src="https://www.tsurita.com/images/blog/2026/01/IMG_4688.jpg" width="320" height="240" alt="" /><br /> （西伊豆の夕方）<br /> <img src="https://www.tsurita.com/images/blog/2026/01/IMG_4682.jpg" width="320" height="240" alt="" /><br /> （夜）<br /> 考えてみれば世界で今、静寂なところがどれだけあるだろうか？<br /> 人の身体が</span><span style="letter-spacing: 1.6px;">許容できる刺激には限度があって、今の環境はそれを超えていると思う。少なくとも私にはそうだ。Youtubeやネットニュースなどで脳が痛めつけられ、大人になってようやくできた頭の中の静寂が破壊されるようだ。その張本人が自分と言うのもなんだか情けないが、日常では難しいので、西伊豆に行って矯正してもらった。<br /> </span>若い頃は診療に間があることが、相手が何を考えているかわからずに不安だった。その不安を解消するためにしゃべるが不安は解消されない。そして無駄に増えていく言葉は伝えたい本質を隠してしまう。私の頭が静寂になれば、もっと伝わる診療になるのではないだろうか？<br /> もう誰かに私の賢さを示さなければならない時間は終わった。私と話すことで誰かを自分が賢くなったような気分にさせる、これからはそんな時間を過ごすのだ。<br />西伊豆の静寂がそう教えてくれた。</p> <div></div> <div></div></div>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2025/12/89987/">
<title>2025年編集後記</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2025/12/89987/</link>
<description>義務だけで始めたブログが15年続きました。今年それに加わった31のブログを振り返ってみます。 耳鼻科関連では&#8221;聴こえないのは、耳だけのせいか？&#8221;という疑問から「音の旅」「加齢性難聴」を思いつきました。&#8221;聴こえる&#8221;ために音が巡る脳での旅と、それを維持する秘訣を書いたつもりです。 聴覚は&#8221;人と繋がるため&#8221;という意義を持っています。聴こえないことで引き起こされるコミュニケーションの低下は孤立を生み、認知症へと繋がっていきます。2024年の「認知症のリスク因子」では糖尿病や喫煙よりも難聴の認知症への影響が高いと発表されていました。死ねない、でも社会と生きられない脳には認知障害になった方が生き物としては幸せかも、という見方もありますが、そうならないように&#34;足掻きたい&#34;と思っています。 のどに関しては「喉頭の話」を書きました。 進化は全く新しい生物を作るのではなく、使われなくなったものを別に利用する精巧なリフォームのようなものです。魚で使われていた鰓（エラ）が私たちでは&#8221;のど&#8221;になっている！という生き物の連続性に感動した学生時代を思い出しました。 「こころの地図」「道を見つける」「道を進もう」は空間認知と記憶の内容です。 ドラクエなどのロールプレイングゲームでは物語を先に進めるためには、あまたあるダンジョンを一つ一つクリアーしなければなりません。攻略ページは最短に進む、いわゆる&#8221;タイパ&#8221;の良い道は教えてくれます。キャラクターの残りの体力が少ない中、ドキドキしながらダンジョンで迷い進むことは&#8221;タイパ&#8221;は悪いかもしれません、でもダンジョンの地図は強烈に記憶します。タイパの悪い方針をとると、もう一度ダンジョンに戻った時、今度は迷わずに進むことができます。きっと矢沢なら（「矢沢論」「続･矢沢論」）なら「最初、サンザンな目に合う。二度目、オトシマエをつける。三度目、余裕」と言うでしょう。これこそがゲームをコントロールしている満足感に繋がっているのです。もし、人生もダンジョンのようなものなら道に迷い&#8221;足掻く&#8221;こともそう悪くないと思いませんか。今年の中で私が一番気に入ったテーマでした。 「あいみての、のちの心に　くらぶれば　昔はものを　思わざりけり」（百人一首より） 私にとって本に出合うことは&#8221;あいみる&#8221;ことと同じです。「推しの死」で紹介したフランス･ドゥ･ヴァールは霊長類、とりわけ私たち人間に近い類人猿を鏡として映し出すテーマでいくつもの本を出しています。 人間の本質を生物の起源に求めた彼は、「暴力も共感も自分の行動が相手にどんな影響を及ぼすか想像の上で成り立ってる」と言います。私たちは悪徳のコインと美徳のコインの二つを持っているわけではないのです。だから悪徳のコインを無くそうとしてもそれは難しい。悪徳と美徳がコインの裏表なら表が出る確率を上げればよい、と考える方が理にかなっているのではないでしょうか。私たちホモサピエンスと他の霊長類との比較からまだまだ学べることはあるので、新しい霊長類学者を探さなくては！思うと同時に、ドゥ・ヴァールが私に与えてくれた知見に心から感謝したいと思います。 そして、&#8221;のちの心&#8221;で知りたいのは私自身です。「彼を知り己を知れば百戦あやうからず」の故事があるように自分を知れば自分をたやすくコントロールでき、物事の見方をかえられたり（「痛みの舞台裏」「なぜ&#8221;めまい&#8221;はあるのか」）、もっと集中出来たり「ダンスは上手く踊れない」できるでしょう。 とはいえ、今年も狙ったとことに狙った球がいかず（「診療は90%がメンタル」）、たくさん打たれてしまいました。がっくり膝をつく日にも、スタッフのチームプレイに助けられています。彼女たちがいなければ、ブログも書けなかったでしょう。 私というものにかかわり、思考を豊かにしてくれる彼女たちに患者さんたちに感謝して今年もブログを終わります。 </description>
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<dc:date>2025-12-31T20:40:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin176718154505409000" class="cms-content-parts-sin176718154505416400"><div>義務だけで始めたブログが15年続きました。今年それに加わった31のブログを振り返ってみます。</div> <div></div> <div>耳鼻科関連では&#8221;聴こえないのは、耳だけのせいか？&#8221;という疑問から「<a href="https://www.tsurita.com/news/2025/02/89960/">音の旅</a>」「<a href="https://www.tsurita.com/news/2025/03/89961/">加齢性難聴</a>」を思いつきました。&#8221;聴こえる&#8221;ために音が巡る脳での旅と、それを維持する秘訣を書いたつもりです。</div> <div>聴覚は&#8221;人と繋がるため&#8221;という意義を持っています。聴こえないことで引き起こされるコミュニケーションの低下は孤立を生み、認知症へと繋がっていきます。2024年の「認知症のリスク因子」では糖尿病や喫煙よりも難聴の認知症への影響が高いと発表されていました。死ねない、でも社会と生きられない脳には認知障害になった方が生き物としては幸せかも、という見方もありますが、そうならないように&#34;足掻きたい&#34;と思っています。</div> <div>のどに関しては「<a href="https://www.tsurita.com/news/2025/09/89979/">喉頭の話</a>」を書きました。</div> <div>進化は全く新しい生物を作るのではなく、使われなくなったものを別に利用する精巧なリフォームのようなものです。魚で使われていた鰓（エラ）が私たちでは&#8221;のど&#8221;になっている！という生き物の連続性に感動した学生時代を思い出しました。<br /> <br /> 「<a href="https://www.tsurita.com/news/2025/03/89962/">こころの地図</a>」「<a href="https://www.tsurita.com/news/2025/03/89962/">道を見つける</a>」「<a href="https://www.tsurita.com/news/2025/04/89964/">道を進もう</a>」は空間認知と記憶の内容です。</div> <div>ドラクエなどのロールプレイングゲームでは物語を先に進めるためには、あまたあるダンジョンを一つ一つクリアーしなければなりません。攻略ページは最短に進む、いわゆる&#8221;タイパ&#8221;の良い道は教えてくれます。キャラクターの残りの体力が少ない中、ドキドキしながらダンジョンで迷い進むことは&#8221;タイパ&#8221;は悪いかもしれません、でもダンジョンの地図は強烈に記憶します。タイパの悪い方針をとると、もう一度ダンジョンに戻った時、今度は迷わずに進むことができます。きっと矢沢なら（「<a href="https://www.tsurita.com/news/2025/05/89967/">矢沢論</a>」「<a href="https://www.tsurita.com/news/2025/05/89968/">続･矢沢論</a>」）なら「最初、サンザンな目に合う。二度目、オトシマエをつける。三度目、余裕」と言うでしょう。これこそがゲームをコントロールしている満足感に繋がっているのです。もし、人生もダンジョンのようなものなら道に迷い&#8221;足掻く&#8221;こともそう悪くないと思いませんか。今年の中で私が一番気に入ったテーマでした。<br /> <br /> 「あいみての、のちの心に　くらぶれば　昔はものを　思わざりけり」（百人一首より）</div> <div>私にとって本に出合うことは&#8221;あいみる&#8221;ことと同じです。「<a href="https://www.tsurita.com/news/2025/09/89978/">推しの死</a>」で紹介したフランス･ドゥ･ヴァールは霊長類、とりわけ私たち人間に近い類人猿を鏡として映し出すテーマでいくつもの本を出しています。</div> <div>人間の本質を生物の起源に求めた彼は、「暴力も共感も自分の行動が相手にどんな影響を及ぼすか想像の上で成り立ってる」と言います。私たちは悪徳のコインと美徳のコインの二つを持っているわけではないのです。だから悪徳のコインを無くそうとしてもそれは難しい。悪徳と美徳がコインの裏表なら表が出る確率を上げればよい、と考える方が理にかなっているのではないでしょうか。私たちホモサピエンスと他の霊長類との比較からまだまだ学べることはあるので、新しい霊長類学者を探さなくては！思うと同時に、ドゥ・ヴァールが私に与えてくれた知見に心から感謝したいと思います。</div> <div>そして、&#8221;のちの心&#8221;で知りたいのは私自身です。「彼を知り己を知れば百戦あやうからず」の故事があるように自分を知れば自分をたやすくコントロールでき、物事の見方をかえられたり（「<a href="https://www.tsurita.com/news/2025/04/89965/">痛みの舞台裏</a>」「<a href="https://www.tsurita.com/news/2025/04/89966/">なぜ&#8221;めまい&#8221;はあるのか</a>」）、もっと集中出来たり「<a href="https://www.tsurita.com/news/2025/08/89976/">ダンスは上手く踊れない</a>」できるでしょう。</div> <div>とはいえ、今年も狙ったとことに狙った球がいかず（「<a href="https://www.tsurita.com/news/2025/12/89986/">診療は90%がメンタル</a>」）、たくさん打たれてしまいました。がっくり膝をつく日にも、スタッフのチームプレイに助けられています。彼女たちがいなければ、ブログも書けなかったでしょう。</div> <div>私というものにかかわり、思考を豊かにしてくれる彼女たちに患者さんたちに感謝して今年もブログを終わります。</div> <div></div></div>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2025/12/89986/">
<title>診療は90%がメンタル</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2025/12/89986/</link>
<description>往年の大リーガーが「野球は90％がメンタル、残る50％がフィジカルだ」と言ったらしい。 さすが！名選手！&#8221;足して100にするという一般常識の枠の中で生きていない。 その大リーガーは、30球団１チーム40人の出場枠として1200人で、野球をやっている高校生は世界で3500万人だから、ざっと計算すると3万人に1人の確率という狭き門だ。ちなみに東大は高校生1000人に1人が入学できるので、東大に入る方が確率は高い。 そんなエリート中のエリートの選手達だからフィジカルがタフであるのは当然。しかし、大リーガーといえども人間なので、子供の教育もあれば家のローンもある。おまけに、関わる多くの人が良かれと思っていろんなアドバイスをして来る。野球以外のことも含めて、最終的に自分の決めたことには自分が責任を持つ。そんなメンタルのタフネスさも彼らには必要とされている。大リーグを経験したピッチャーによると、投球は「投げる身体と、どんな球をどこに投げるかという意志決定との2部構成」だという。「ここで歩かせると最悪だ」なんて考えると必ず現実になるそうだ。決め球が打たれることも、打ち取ったと思ったら味方がエラーすることもあるゲームで、一人でマウンドにいるピッチャーの心は海で小舟に乗っているようなものだ。ヒットやエラー、フォアボールと小舟に強風が吹いてくる。それに流されるままだとゲームは壊れてしまう。小舟からイカリを下ろし淡々と狙ったところに狙ったボールを投げ続けるしかない。私も時々、患者が持ってくる&#8221;問題&#8221;という打者に投球を行っているように感じるときがある。&#8221;前日38.4℃、今朝37.8℃&#8221;の幼稚園児。5歳児のインフルエンザにしては少し熱が低い気がするが、園でインフルが流行し始めているというデーターもあることだし、ここはまずインフルエンザの検査という球を投げよう。陰性、ボール。頭を切り替えて他の熱源を探す。のどを見てみよう。溶連菌が疑わしい、狙ったところに狙った球を。陽性、アウトに出来た。アウトには出来たが最初からのどを見ていれば、球数が少なくて済んだのに、と悔やみながら次の打者へ。今度は&#8221;前日も今朝も39℃、息子がインフル療養明け&#8221;の父親。もうこれは簡単にアウトを取れる打者だ。インフル検査というど真ん中のストレートを投げる。陰性、ボール。私は審判の検査プレートに抗議するが判定は覆らない。「なぜ？なぜ？」と考えるより次の1球だ。結局様子を見ることにして歩かせた。お次は80歳で初めて耳鼻科に来たおばあさんだ。ルーキーだから簡単にアウトを取れるだろうと思ったらとんでもない！&#8221;痰が絡む、鼻が詰まる&#8221;最後は&#8221;耳がかゆい&#8221;、粘りに粘られて20球くらい投げた疲労感がある。まあでも普通の打者なら、そうそう小舟は流されない。混雑する土曜日、「今日はいつも行っている耳鼻科とここを予約して、早く順番が回ってきたから来た」と言う母親の&#8221;子供が2か月間鼻を出し続けている&#8221;が打者だった。こういう&#8221;軽く扱われた&#8221;という感覚は最も小舟が揺さぶられる。両方予約してはいけないという法律はない。ないけどね。けれどデットボールはダメだ。ルール無用のこの選手を、ステロイドを服用しているドーピング全盛期のバリー･ボンズくらいに思おう！とイカリを沈めボンズにも狙ったところに狙った球を。何かに対峙する時、誰でもが大リーガーのピッチャーになりえる。その大リーガーでさえ全員が剛速球やありえない軌道の変化球を持っているわけでもない。無いからこそ、自分の強みと限界を知り、それを受け入れて、自分がコントロールできることに集中する選手は一貫して優秀な成績を収めるという。それはどんな分野でもそうだと思うのだ。だから診療も90%がメンタル。 </description>
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<dc:date>2025-12-17T16:25:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin176595645440696000" class="cms-content-parts-sin176595645440704000"><p><span style="letter-spacing: 0.1em;">往年の大リーガーが「野球は90％がメンタル、残る50％がフィジカルだ」と言ったらしい。</span><br /> さすが！名選手！&#8221;足して100にするという一般常識の枠の中で生きていない。<br /> その大リーガーは、30球団１チーム40人の出場枠として1200人で、野球をやっている高校生は世界で3500万人だから、ざっと計算すると3万人に1人の確率という狭き門だ。ちなみに東大は高校生1000人に1人が入学できるので、東大に入る方が確率は高い。<br /> そんなエリート中のエリートの選手達だからフィジカルがタフであるのは当然。しかし、大リーガーといえども人間なので、子供の教育もあれば家のローンもある。おまけに、関わる多くの人が良かれと思っていろんなアドバイスをして来る。野球以外のことも含めて、最終的に自分の決めたことには自分が責任を持つ。そんなメンタルのタフネスさも彼らには必要とされている。<br />大リーグを経験したピッチャーによると、投球は「投げる身体と、どんな球をどこに投げるかという意志決定との2部構成」だという。「ここで歩かせると最悪だ」なんて考えると必ず現実になるそうだ。決め球が打たれることも、打ち取ったと思ったら味方がエラーすることもあるゲームで、一人でマウンドにいるピッチャーの心は海で小舟に乗っているようなものだ。ヒットやエラー、フォアボールと小舟に強風が吹いてくる。それに流されるままだとゲームは壊れてしまう。小舟からイカリを下ろし淡々と狙ったところに狙ったボールを投げ続けるしかない。<br />私も時々、患者が持ってくる&#8221;問題&#8221;という打者に投球を行っているように感じるときがある。<br />&#8221;前日38.4℃、今朝37.8℃&#8221;の幼稚園児。5歳児のインフルエンザにしては少し熱が低い気がするが、園でインフルが流行し始めているというデーターもあることだし、ここはまずインフルエンザの検査という球を投げよう。陰性、ボール。頭を切り替えて他の熱源を探す。のどを見てみよう。溶連菌が疑わしい、狙ったところに狙った球を。陽性、アウトに出来た。アウトには出来たが最初からのどを見ていれば、球数が少なくて済んだのに、と悔やみながら次の打者へ。今度は&#8221;前日も今朝も39℃、息子がインフル療養明け&#8221;の父親。もうこれは簡単にアウトを取れる打者だ。インフル検査というど真ん中のストレートを投げる。陰性、ボール。私は審判の検査プレートに抗議するが判定は覆らない。「なぜ？なぜ？」と考えるより次の1球だ。結局様子を見ることにして歩かせた。<br />お次は80歳で初めて耳鼻科に来たおばあさんだ。ルーキーだから簡単にアウトを取れるだろうと思ったらとんでもない！&#8221;痰が絡む、鼻が詰まる&#8221;最後は&#8221;耳がかゆい&#8221;、粘りに粘られて20球くらい投げた疲労感がある。まあでも普通の打者なら、そうそう小舟は流されない。混雑する土曜日、「今日はいつも行っている耳鼻科とここを予約して、早く順番が回ってきたから来た」と言う母親の&#8221;子供が2か月間鼻を出し続けている&#8221;が打者だった。こういう&#8221;軽く扱われた&#8221;という感覚は最も小舟が揺さぶられる。両方予約してはいけないという法律はない。ないけどね。けれどデットボールはダメだ。ルール無用のこの選手を、ステロイドを服用しているドーピング全盛期のバリー･ボンズくらいに思おう！とイカリを沈めボンズにも狙ったところに狙った球を。<br />何かに対峙する時、誰でもが大リーガーのピッチャーになりえる。<br />その大リーガーでさえ全員が剛速球やありえない軌道の変化球を持っているわけでもない。無いからこそ、自分の強みと限界を知り、それを受け入れて、自分がコントロールできることに集中する選手は一貫して優秀な成績を収めるという。<br />それはどんな分野でもそうだと思うのだ。だから診療も90%がメンタル。</p>       <div></div></div>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2025/12/89985/">
<title>静岡の夕ぐれと富山のことば</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2025/12/89985/</link>
<description>清少納言によれば冬は早朝が趣深いということだが、私は断然&#8221;夕焼け&#8221;派だ。オレンジから濃紺へと緩やかに沈む冬の空のグラデーション―これは静岡に来てから知った。空気が澄んでいて、雲が少ない静岡の冬は夕焼けがきれいに見える条件が整っている。もし清少納言も静岡で暮らしたなら、枕草子の内容も変わっていたのではないかしら。故郷の富山は、冬は曇りがちで晴れる日が少なく空気は湿っているので、こういう夕焼けは見られなかった。静岡と富山、とりわけ対照的なこの時期は、不思議なことに静岡の夕焼けをみながら、富山の冬も思い出してしまう。ジュディオングの♪好きな男の腕の中でも、違う男の夢を見るふううぅ～はああぁ～♪心理か。そんな夕焼けを眺めながら「もし富山で開業していたら？」と考えることがある。倫理学の有名な問いに「トロッコ問題」がある。5人を救う代わりに1人が犠牲にするか？という命題だ。5人救うために1人を犠牲にするのを&#8221;よし&#8221;とする考えは功利主義と言われ&#8221;合理的な判断&#8221;とみなされる。バイリンガルにトロッコ問題を出すと、第一言語＝母国語より第二言語での方が合理的な判断に傾くという。言語が思考を作り感情の揺れ幅まで左右する、ということだ。宇多田ヒカルも客観的に物事を考えたいときは英語で考えるというのも同じ理由だろう。ならば方言でも夕焼けのように思考の色が変わるのではないだろうか？例えば、タイミーのバイトでなまはげになるとしよう。与えられたセリフが「泣くごはいねが」と「泣く子はいませんか」では、なまはげのイメージも動きも心のありようも別物にならないだろうか？もちろんバイトの充足度も。方言の違いで思考の違いが生まれることに気がついたのは、富山の友人が帰った後や年末年始で富山に帰った後など、方言が抜けない時の診療だった。診療は患者の主観的な訴えを、診察結果という客観的なものに置き換える作業から始まり、それらをわかりやすく説明するという過程からなる。鬼滅の刃での、極限まで鍛錬を積んだ者が到達する境地＝&#8221;透き通る世界&#8221;と言う言葉を借りるなら、柱ではなく医師としてはどれだけ思考の透明度を保てるか、つまり客観性を高く保つことが大切だと思う。富山の言葉を使うと感情が強くなり、濁りがでてしまう。もし富山で開業していたら、全く違った病院になっていたと思う。どの言葉を使いどう伝えるかが違うのだから。静岡と富山の夕焼けの色が違うように。。。それで思いついた！今月末に私は富山に帰る。実家でずっと静岡弁で話したら少しは親子喧嘩が減るかしら。 </description>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2025/11/89984/">
<title>凡庸上等</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2025/11/89984/</link>
<description>ららぽーと沼津の「午前10時の映画祭」では、いつか誰かと行った名画がまた劇場で見られる。11月20日までは「アマデウス」だ。私は好きな映画を問われたらこの映画を挙げていた時期があった。　この映画の主役はサリエリ。&#8221;誰？&#8221;という疑問はもちろん。私もこの映画を見るまでは知らなかった。準主役はモーツアルト。これは小学生でも知っているだろう。当時の立場はサリエリの方が上で、皇帝のお抱え作曲家という地位で若いモーツアルトを迎える。サリエリが作った歓迎の曲を、モーツアルトは１回聞いただけで演奏し、皇帝の前で「ここが変だから直そう」と素晴らしく曲を変えてしまう。サリエリのプライドはズタズタにされる。幼いころから敬虔に「音楽で神を讃えるから、音楽での栄誉を与えてください。それ以外は要らない」と一途に祈っていたサリエリは、いとも簡単に人を魅了する曲を作る才能、そこから生まれるモーツアルトの音楽が、祈りに対する神の答えなのだと知る。この時の気持ちをサリエリは次のように言う「神は希望だけ与えて、才能は与えなかった」　自分の才能について考えてもいなかった16歳で初めて見て、それから40年。映画のサリエリに近い、才能について考えられる年にはなった。才能はあると思えばあり、無いと思えばないもので、また他人、広く言えば社会にさらされてわかってくるものだと思う。自分にあるのに、自分には見えず他人の方がよく見えている。私には才能をも自分当てゲームのように思える。（以下、以前のブログ抜粋）『こんなゲームを想像してみよう。いろいろな物を描いたカードを伏せて配る、みんなカードは見ないでおでこに貼る。他の人は私を見て「隣の県の名産でもあり美味しいね」とか「皮が好きだな」と彼らなりのヒントをくれる。どうやら私はブドウの様だと自分で想像して、ワインのカードをおでこに貼っている子に近づく。けれどこれは間違いで、本当は私にウナギのカードが貼られていたら、ワインと思っている子は戸惑うだろう。そして遠くでお米と思っている子が私を探しているかもしれない。自分をブドウだと思っている間、私はこのゲームで勝つことは無い。』　さて、才能あふれるモーツアルトは35歳で亡くなる。年月を重ねるごとにモーツアルトの音楽は世界にあふれる一方、サリエリの音楽は廃れていった。それを目の当たりにする日々が、サリエリの老いていく時間だった。才能から生まれた結果で比べると優劣がついてしまい辛くなるが、もしサリエリが結果を生む過程＝努力にフォーカスできていたなら、それは柔軟な才能として、消すことのできない嫉妬心から彼を救ったのではないのだろうか。　映画のラストでサリエリは「凡庸の代表者」と自分を卑下する。芸術や競技の世界では凡庸は褒められた言葉ではないが、長い人生を対象にした場合、凡庸であり続けることは案外難しい。宮廷作曲家として皇帝に仕え、病院でも特別室で従者いる環境は、現代ならば高級なサ高住（サービス付き高齢者向け住宅）で暮らしていると同じで、もし彼が恵まれていたことに気がつけたなら違う人生だったろうに。と思う。&#8221;この世の凡庸なる者の一人&#8221;であることに感謝したい。</description>
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<dc:date>2025-11-19T16:50:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin176353894783281900" class="cms-content-parts-sin176353894783289900"><p><span style="letter-spacing: 0.1em;">ららぽーと沼津の「午前10時の映画祭」では、いつか誰かと行った名画がまた劇場で見られる。</span><br />11月20日までは「アマデウス」だ。私は好きな映画を問われたらこの映画を挙げていた時期があった。<br />　この映画の主役はサリエリ。&#8221;誰？&#8221;という疑問はもちろん。私もこの映画を見るまでは知らなかった。準主役はモーツアルト。これは小学生でも知っているだろう。当時の立場はサリエリの方が上で、皇帝のお抱え作曲家という地位で若いモーツアルトを迎える。サリエリが作った歓迎の曲を、モーツアルトは１回聞いただけで演奏し、皇帝の前で「ここが変だから直そう」と素晴らしく曲を変えてしまう。サリエリのプライドはズタズタにされる。<br />幼いころから敬虔に「音楽で神を讃えるから、音楽での栄誉を与えてください。それ以外は要らない」と一途に祈っていたサリエリは、いとも簡単に人を魅了する曲を作る才能、そこから生まれるモーツアルトの音楽が、祈りに対する神の答えなのだと知る。この時の気持ちをサリエリは次のように言う「神は希望だけ与えて、才能は与えなかった」<br />　自分の才能について考えてもいなかった16歳で初めて見て、それから40年。映画のサリエリに近い、才能について考えられる年にはなった。才能はあると思えばあり、無いと思えばないもので、また他人、広く言えば社会にさらされてわかってくるものだと思う。自分にあるのに、自分には見えず他人の方がよく見えている。私には才能をも自分当てゲームのように思える。（以下、<a href="https://www.tsurita.com/news/2023/03/89896/">以前のブログ</a>抜粋）<br />『こんなゲームを想像してみよう。いろいろな物を描いたカードを伏せて配る、みんなカードは見ないでおでこに貼る。他の人は私を見て「隣の県の名産でもあり美味しいね」とか「皮が好きだな」と彼らなりのヒントをくれる。どうやら私はブドウの様だと自分で想像して、ワインのカードをおでこに貼っている子に近づく。けれどこれは間違いで、本当は私にウナギのカードが貼られていたら、ワインと思っている子は戸惑うだろう。そして遠くでお米と思っている子が私を探しているかもしれない。自分をブドウだと思っている間、私はこのゲームで勝つことは無い。』<br />　さて、才能あふれるモーツアルトは35歳で亡くなる。年月を重ねるごとにモーツアルトの音楽は世界にあふれる一方、サリエリの音楽は廃れていった。それを目の当たりにする日々が、サリエリの老いていく時間だった。才能から生まれた結果で比べると優劣がついてしまい辛くなるが、もしサリエリが結果を生む過程＝努力にフォーカスできていたなら、それは柔軟な才能として、消すことのできない嫉妬心から彼を救ったのではないのだろうか。<br />　映画のラストでサリエリは「凡庸の代表者」と自分を卑下する。芸術や競技の世界では凡庸は褒められた言葉ではないが、長い人生を対象にした場合、凡庸であり続けることは案外難しい。宮廷作曲家として皇帝に仕え、病院でも特別室で従者いる環境は、現代ならば高級なサ高住（サービス付き高齢者向け住宅）で暮らしていると同じで、もし彼が恵まれていたことに気がつけたなら違う人生だったろうに。と思う。<br />&#8221;この世の凡庸なる者の一人&#8221;であることに感謝したい。</p></div>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2025/11/89983/">
<title>記憶と遊ぶ</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2025/11/89983/</link>
<description>是枝監督の「ワンダフルライフ」という映画では、死んだ人が一旦ある施設に集められ、そこで自分の人生の一番の思い出を決めるように言われる。施設の職員は死者たちが思い出を決められるように手助けし、施設での最後の日にそれを再現する。死者にもう一度その頃の思い出がよみがえった瞬間に、その思い出だけを胸に死後の世界へと旅経つ。。。と言う内容だ。 生涯の一番の思い出を探すときに必要になるのは&#8221;海馬&#8221;である。 その昔（中世）脳を解剖した医師がタツノオトシゴに似ている形からその場所を&#8221;海馬&#8221;と名付けた。タツノオトシゴのラテン名はギリシャ神話に出てくる上半身馬、下半身魚の怪獣に由来し&#8221;ヒポカンプス&#8221;＝海の馬という。タツノオトシゴのオスは稚魚が海で生きていけるようになるまでお腹に抱え大切に守る。 一方&#8221;海馬&#8221;の役割は記憶を抱えておくことである。記憶が分解され、脳の他の部分に保存され長期記憶となるまで抱えている。まるで海の馬のように。（海馬と記憶についての過去ブログ） さて、生涯の一番の思い出となりうる有力候補は幼児期の記憶だが、残念ながら９歳まででそれは失われてしまうという。ただ、幼児期は元ネタが実際に無くても、周囲から聞いた事や写真により事実として吹きこまれ記憶として定着することが多い、先日「口が乾きませんか？」と８０歳の患者さんに聞いたら「ええ、赤ん坊の時によだれが少ない子だったと母親は言ってました」と答えてくれた。こんなに長く覚えているのだから、よだれの量より、子供に覚えて欲しいことを語っていくことが大事ではなかろうか？親が話す幸せな幼少期の思い出は、その子にとってきっと一生の贈り物となる。 そして過去の記憶はどこまで正しいのだろうか？私はブログのネタになりそうな検査画像をしばらく経ってから思いつき、探すことが多い。確か「先週の月曜日」だったな、で探しても見つからず、「先々週の月曜」から見つけることなんてざらにある。真実である部分（この場合は月曜日）は残っていたが、細部は適当に近くの小道具を借りてくるようにくっつけ、記憶を再構成させるから、思い出は真実と作り話が混ぜられた品として出てくる。 そう、思い出は決して信頼できるものではない。それは曖昧で移ろうもの、なのに！思い出の中に残っていたドキドキワクワクをもう一度経験したくて「ドラクエ１・２リメイク」を購入してしまった。ドラクエをすることは、過去への扉があき、今の自分の願望で彩られた世界が再現されると思ったのだ。そんなわけないのにね。</description>
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<dc:date>2025-11-09T18:55:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin176268261226767400" class="cms-content-parts-sin176268261226777700"><div>是枝監督の「ワンダフルライフ」という映画では、死んだ人が一旦ある施設に集められ、そこで自分の人生の一番の思い出を決めるように言われる。施設の職員は死者たちが思い出を決められるように手助けし、施設での最後の日にそれを再現する。死者にもう一度その頃の思い出がよみがえった瞬間に、その思い出だけを胸に死後の世界へと旅経つ。。。と言う内容だ。</div> <div>生涯の一番の思い出を探すときに必要になるのは&#8221;海馬&#8221;である。</div> <div>その昔（中世）脳を解剖した医師がタツノオトシゴに似ている形からその場所を&#8221;海馬&#8221;と名付けた。タツノオトシゴのラテン名はギリシャ神話に出てくる上半身馬、下半身魚の怪獣に由来し&#8221;ヒポカンプス&#8221;＝海の馬という。タツノオトシゴのオスは稚魚が海で生きていけるようになるまでお腹に抱え大切に守る。</div> <div>一方&#8221;海馬&#8221;の役割は記憶を抱えておくことである。記憶が分解され、脳の他の部分に保存され長期記憶となるまで抱えている。まるで海の馬のように。（海馬と記憶についての<a href="https://www.tsurita.com/news/2025/03/89962/">過去ブログ</a>）</div> <div>さて、生涯の一番の思い出となりうる有力候補は幼児期の記憶だが、残念ながら９歳まででそれは失われてしまうという。ただ、幼児期は元ネタが実際に無くても、周囲から聞いた事や写真により事実として吹きこまれ記憶として定着することが多い、先日「口が乾きませんか？」と８０歳の患者さんに聞いたら「ええ、赤ん坊の時によだれが少ない子だったと母親は言ってました」と答えてくれた。こんなに長く覚えているのだから、よだれの量より、子供に覚えて欲しいことを語っていくことが大事ではなかろうか？親が話す幸せな幼少期の思い出は、その子にとってきっと一生の贈り物となる。</div> <div>そして過去の記憶はどこまで正しいのだろうか？私はブログのネタになりそうな検査画像をしばらく経ってから思いつき、探すことが多い。確か「先週の月曜日」だったな、で探しても見つからず、「先々週の月曜」から見つけることなんてざらにある。真実である部分（この場合は月曜日）は残っていたが、細部は適当に近くの小道具を借りてくるようにくっつけ、記憶を再構成させるから、思い出は真実と作り話が混ぜられた品として出てくる。</div> <div>そう、思い出は決して信頼できるものではない。それは曖昧で移ろうもの、なのに！思い出の中に残っていたドキドキワクワクをもう一度経験したくて「ドラクエ１・２リメイク」を購入してしまった。ドラクエをすることは、過去への扉があき、今の自分の願望で彩られた世界が再現されると思ったのだ。そんなわけないのにね。</div></div>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2025/10/89982/">
<title>はじめに言葉はない</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2025/10/89982/</link>
<description>波勝崎（はがちざき）では野生のニホンザル（マカク）が観察できる。餌を食べている者、小競り合いをしているもの、自分の力を誇示するために木を揺らしているオス（ディスプレイと言われる）。中でも一番多い行動が&#8221;毛づくろい&#8221;だ。サルにとっての&#8221;毛づくろい&#8221;は社会交流を意味する。痒いから掻いてもらっている。と早とちりしてはいけない。それは親愛の情を交換してる時もあれば、我々が背中をさするように慰めていたり、またある時は謝罪、時に和解の合意文書に調印の意味など、状況に応じていろいろな意図が隠されているという。&#8221;毛づくろい&#8221;される側のサルはとても気持ちよさそうにしていた。実は&#8221;毛づくろい&#8221;されると脳内エンドルフィン（快楽物質）という幸福感をもたらすホルモンが出てくる。一方、&#8221;毛づくろい&#8221;をする側のサルの脳ではエンドルフィンは出ない。する側は労力と時間を費やすだけなので、サル社会の基本精神は「あなたが掻いてくれるなら、私は掻いてあげる」だ。エサを誰とどういう割合で分け合うかは、その日の&#8221;毛づくろいをするーされる関係性&#8221;と一致しているという。話はそれるが、私は「掻いてあげないけど、掻いてよ」的な人（経済学用語ではフリーライダー＝タダ乗り）に、ついつい情動的になる自分が嫌だった。「掻いてくれなくても、掻いてあげるわ」であるべきと思っていたから。が、今は私の中のサルが発動し、「掻いてくれないから、掻かないよ」と言えるようになった。サルが私を救ってくれた一つでもある。さて、社会性の高いサルはこの&#8221;毛づくろい&#8221;に２０％の時間をかけるという。アフリカで生まれたヒト属は体温調節を汗でするようになったから、その子孫の私たちは極端に毛が少ない。毛づくろいする毛はないけど、社会交流は必要でだから、言葉のやりとり（＝会話）がそれに代わっている。現在に生きる狩猟採集民族も社会交流に２５％の時間を当ててるという。波勝崎のサルも私たちも同じ社会的な生き物だから、伝えるべき情報の中で優先順位が高いのは「ライオンなど捕食動物が近くにいる」と言うこと以上に人間について、つまり「だれが味方で、だれか敵か」という内容だろう。言葉はこの噂話のために発達したそうだ。原始時代は隣人が正直者かフリーライダーかを知ることは生存の可能性に直結していたろうから無理はない。そうやって発達した言葉を、可能な限り客観的に使うことを最近は目指していた。漫画「葬送のフリーレン」にある「魔法はイメージの世界。イメージできないものは魔法では実現できない」の言葉を借りれば「診察はイメージの世界」である。相手の意図するところをイメージし、そのイメージが一致しているのかを確認することから始まる。そのイメージを構築するピースが言葉だ。意識して聞いてみると人は曖昧なイメージしか抱けない言葉をよく使う。例えば「ずっと鼻が出ています」。ずっとが1週間なのか？1カ月なのか？はたまた１年であるのか？それを客観性の高い言葉に変換しながら私はその人が表現する「ずっと」の解像度を上げていく。もしかしたら、わかりやすい診療とはこういうことなのかと思いながら。だけど肝心な時には言葉はその限界をあらわす。先週末に遠くから同級生が沼津に遊びに来た。彼女が私に合う理由が&#8221;なつかしい&#8221;だけではないことを推しはかれるくらいには年をとったつもりだ。彼女と机を並べてからもう40年は経つ。半ば当たり、半ば外れた私の勘を飲み込むように鮨を食べながら、言葉につまり彼女の背中をさすりたくなった。言葉を失くし、私はサルに戻った。</description>
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<dc:date>2025-10-30T11:25:00+09:00</dc:date>
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<div id="cms-editor-minieditor-sin176179122495157400" class="cms-content-parts-sin176179122495165800"><p><span style="letter-spacing: 0.1em;">波勝崎（はがちざき）では野生のニホンザル（マカク）が観察できる。餌を食べている者、小競り合いをしているもの、自分の力を誇示するために木を揺らしているオス（ディスプレイと言われる）。中でも一番多い行動が&#8221;毛づくろい&#8221;だ。</span><br />サルにとっての&#8221;毛づくろい&#8221;は社会交流を意味する。痒いから掻いてもらっている。と早とちりしてはいけない。それは親愛の情を交換してる時もあれば、我々が背中をさするように慰めていたり、またある時は謝罪、時に和解の合意文書に調印の意味など、状況に応じていろいろな意図が隠されているという。<br />&#8221;毛づくろい&#8221;される側のサルはとても気持ちよさそうにしていた。実は&#8221;毛づくろい&#8221;されると脳内エンドルフィン（快楽物質）という幸福感をもたらすホルモンが出てくる。一方、&#8221;毛づくろい&#8221;をする側のサルの脳ではエンドルフィンは出ない。する側は労力と時間を費やすだけなので、サル社会の基本精神は「あなたが掻いてくれるなら、私は掻いてあげる」だ。エサを誰とどういう割合で分け合うかは、その日の&#8221;毛づくろいをするーされる関係性&#8221;と一致しているという。<br />話はそれるが、私は「掻いてあげないけど、掻いてよ」的な人（経済学用語ではフリーライダー＝タダ乗り）に、ついつい情動的になる自分が嫌だった。「掻いてくれなくても、掻いてあげるわ」であるべきと思っていたから。が、今は私の中のサルが発動し、「掻いてくれないから、掻かないよ」と言えるようになった。サルが私を救ってくれた一つでもある。<br />さて、社会性の高いサルはこの&#8221;毛づくろい&#8221;に２０％の時間をかけるという。アフリカで生まれたヒト属は体温調節を汗でするようになったから、その子孫の私たちは極端に毛が少ない。毛づくろいする毛はないけど、社会交流は必要でだから、言葉のやりとり（＝会話）がそれに代わっている。現在に生きる狩猟採集民族も社会交流に２５％の時間を当ててるという。<br />波勝崎のサルも私たちも同じ社会的な生き物だから、伝えるべき情報の中で優先順位が高いのは「ライオンなど捕食動物が近くにいる」と言うこと以上に人間について、つまり「だれが味方で、だれか敵か」という内容だろう。言葉はこの噂話のために発達したそうだ。原始時代は隣人が正直者かフリーライダーかを知ることは生存の可能性に直結していたろうから無理はない。<br />そうやって発達した言葉を、可能な限り客観的に使うことを最近は目指していた。漫画「葬送のフリーレン」にある「魔法はイメージの世界。イメージできないものは魔法では実現できない」の言葉を借りれば「診察はイメージの世界」である。相手の意図するところをイメージし、そのイメージが一致しているのかを確認することから始まる。そのイメージを構築するピースが言葉だ。意識して聞いてみると人は曖昧なイメージしか抱けない言葉をよく使う。例えば「ずっと鼻が出ています」。ずっとが1週間なのか？1カ月なのか？はたまた１年であるのか？それを客観性の高い言葉に変換しながら私はその人が表現する「ずっと」の解像度を上げていく。もしかしたら、わかりやすい診療とはこういうことなのかと思いながら。<br />だけど肝心な時には言葉はその限界をあらわす。<br />先週末に遠くから同級生が沼津に遊びに来た。彼女が私に合う理由が&#8221;なつかしい&#8221;だけではないことを推しはかれるくらいには年をとったつもりだ。彼女と机を並べてからもう40年は経つ。<br />半ば当たり、半ば外れた私の勘を飲み込むように鮨を食べながら、言葉につまり彼女の背中をさすりたくなった。言葉を失くし、私はサルに戻った。</p></div>
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<item rdf:about="https://www.tsurita.com/news/2025/10/89981/">
<title>続・喉頭の話</title>
<link>https://www.tsurita.com/news/2025/10/89981/</link>
<description>
もう喉頭の話は終わったと思ったでしょ？でも&#8221;気道の枠組み&#8221;に問題が起きたときの話もまだなので続けさせて欲しい。
喉頭は軟骨でできている。骨ではなくて軟骨なのは軽く柔軟な動きを求められつつ、枠＝フレームとしての強固さを備えたいという要求に合致している。喉頭と同じ構造なのは、耳介軟骨＝音が通るフレーム、鼻翼軟骨＝空気が通るフレームである。

この喉頭の持ち主は、ベンチプレスで安全バーの確認を忘れました。

（喉頭の右側がむくんだり、内出血を起こしている）
Maxチャレンジで上がらないバーベルが首を圧迫し、死を覚悟したそうな。私は声を大にして言いたい（書きたい）が、喉頭は空気を通すため強固な作り、とは言えど、その上に何十キロのバーベルが乗る設定にはなっていない。
私が体験した初めての喉頭外傷は、フロントガラスが凍る夜に運転席側の一部が溶けただけで車を発進させ、事故を起こした男性だった。「よく見ようと思って、ハンドルの上に首を置いてました」。。。って&#8221;よく見る⁉&#8221;と深夜の救急で思ったっけ。
一口に声嗄れと言っても、喉頭外傷の声は聞き取ることが難しいレベルに嗄れている。ギターで例えると声帯結節やポリープは弦の問題で、喉頭外傷はギター自体が壊れているようなものだ。プロレスラーの天龍源一郎の声がまさにそれだ。耳にするたびに私は「ラリアートによる喉頭外傷では？」と考えてしまう。
次に食べ物は食道へ、空気は気道へと喉頭は分けてくれる。つまり喉頭は食べ物と空気の分岐部にあるので、胃液が逆流するとそれなりの影響を受ける。

（左：胃酸の海にやられた喉頭、右：治療後）
こんな大きいものが喉頭についているのに、発声のスィートスポットではないため声嗄れはない。
最後はやはりザ・炎症で締めくくりたい。喉頭の役割を果たせなくなったその姿をご覧あれ。

（左：喉頭の内側の粘膜が広い範囲で炎症を起こしている。右：治療後）
こうなると話すときも食べるときものどが痛い。でも、空気は気管に入るから死にはしない。

（左：正常な喉頭蓋、右：ピンポン玉のように腫れた喉頭蓋、急性喉頭蓋炎）
左の写真のべらべらしたものが正常な喉頭蓋で気管に食べ物が入らないように&#8221;ふた&#8221;の役目を果たす。（蓋はふたという漢字）それが腫れると左の写真のように気道をふさぎ、しまいには窒息してしまう。
この写真の主は&#8221;のどが痛い&#8221;と訴えても、「あなたは扁桃を取る手術をしているから、ひどくならないので大丈夫」と言われたそうだ。先入観は恐ろしい。
しかし、他の医者の肩を持つわけではないが、喉頭がこんなに腫れていても、口を開けたのどには問題が無いことが多い。成人の場合、口からは喉頭は見えないのだ。
見えなくても喉頭蓋炎の人はそれと分かる、くぐもった声になっている。口いっぱいにものをほお張って話すときの音に似ているのは、音の共鳴空間が変わるからだろう。この声を聴くと、スタッフは&#8221;重症サウンド&#8221;と称してすぐに私に知らせてくれる。この方はすぐに市立病院に紹介した。気管に直接空気を入れる緊急手術（気管切開術（イメージはこちら））になった。
哺乳類の歴史は、わが世の春を謳歌する恐竜の足元で、夜だけちょこまかできる小動物として始まった。魚の鰓から転化した喉頭から出す音で、その頃は生き延びるために仲間と最低限の連絡をとっていたことだろう。そんな日陰の身から２億年以上経った今、私たちは喉頭をつかって話したり、歌ったりしている。
耳鼻科の関わる器官を考えれば考える程、それがいかにコミュニケーションに重要かを私は思い知る。

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<dc:date>2025-10-15T06:50:00+09:00</dc:date>
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<p><span style="letter-spacing: 0.1em;">もう喉頭の話は終わったと思ったでしょ？でも&#8221;気道の枠組み&#8221;に問題が起きたときの話もまだなので続けさせて欲しい。</span><br style="letter-spacing: 1.6px;" />
<span style="letter-spacing: 1.6px;">喉頭は軟骨でできている。骨ではなくて軟骨なのは軽く柔軟な動きを求められつつ、枠＝フレームとしての強固さを備えたいという要求に合致している。喉頭と同じ構造なのは、耳介軟骨＝音が通るフレーム、鼻翼軟骨＝空気が通るフレームである。<br />
<br />
この喉頭の持ち主は、ベンチプレスで安全バーの確認を忘れました。<br />
</span><span style="letter-spacing: 1.6px;"><img src="https://www.tsurita.com/images/blog/2025/10/atu1.jpg" width="640" height="479" alt="" /><br />
</span><span style="letter-spacing: 1.6px;">（喉頭の右側がむくんだり、内出血を起こしている）<br />
Maxチャレンジで上がらないバーベルが首を圧迫し、死を覚悟したそうな。私は声を大にして言いたい（書きたい）が、喉頭は空気を通すため強固な作り、とは言えど、その上に何十キロのバーベルが乗る設定にはなっていない。<br />
私が体験した初めての喉頭外傷は、フロントガラスが凍る夜に運転席側の一部が溶けただけで車を発進させ、事故を起こした男性だった。「よく見ようと思って、ハンドルの上に首を置いてました」。。。って&#8221;よく見る⁉&#8221;と深夜の救急で思ったっけ。</span><span style="letter-spacing: 1.6px;"><br />
一口に声嗄れと言っても、喉頭外傷の声は聞き取ることが難しいレベルに嗄れている。ギターで例えると声帯結節やポリープは弦の問題で、喉頭外傷はギター自体が壊れているようなものだ。プロレスラーの天龍源一郎の声がまさにそれだ。耳にするたびに私は「ラリアートによる喉頭外傷では？」と考えてしまう。<br />
次に食べ物は食道へ、空気は気道へと喉頭は分けてくれる。つまり喉頭は食べ物と空気の分岐部にあるので、胃液が逆流するとそれなりの影響を受ける。<br />
</span><img src="https://www.tsurita.com/images/blog/2025/10/gyaku1.jpg" width="1234" height="479" alt="" /><br />
<span style="letter-spacing: 1.6px;">（左：胃酸の海にやられた喉頭、右：治療後）<br />
こんな大きいものが喉頭についているのに、発声のスィートスポットではないため声嗄れはない。<br />
最後はやはりザ・炎症で締めくくりたい。喉頭の役割を果たせなくなったその姿をご覧あれ。<br />
<img src="https://www.tsurita.com/images/blog/2025/10/honami1.jpg" width="1239" height="480" alt="" /><br />
（左：喉頭の内側の粘膜が広い範囲で炎症を起こしている。右：</span><span style="letter-spacing: 1.6px;">治療後）<br />
こうなると話すときも食べるときものどが痛い。でも、空気は気管に入るから死にはしない。<br />
<img src="https://www.tsurita.com/images/blog/2025/10/gaien2.jpg" width="930" height="489" alt="" /><br />
（左：正常な喉頭蓋、右：ピンポン玉のように腫れた喉頭蓋、急性喉頭蓋炎）<br />
左の写真のべらべらしたものが正常な喉頭蓋で気管に食べ物が入らないように&#8221;ふた&#8221;の役目を果たす。（蓋はふたという漢字）それが腫れると左の写真のように気道をふさぎ、しまいには窒息してしまう。<br />
この写真の主は&#8221;のどが痛い&#8221;と訴えても、「あなたは扁桃を取る手術をしているから、ひどくならないので大丈夫」と言われたそうだ。先入観は恐ろしい。<br />
しかし、他の医者の肩を持つわけではないが、喉頭がこんなに腫れていても、口を開けたのどには問題が無いことが多い。成人の場合、口からは喉頭は見えないのだ。<br />
見えなくても喉頭蓋炎の人はそれと分かる、くぐもった声になっている。口いっぱいにものをほお張って話すときの音に似ているのは、音の共鳴空間が変わるからだろう。この声を聴くと、スタッフは&#8221;重症サウンド&#8221;と称してすぐに私に知らせてくれる。この方はすぐに市立病院に紹介した。気管に直接空気を入れる緊急手術（気管切開術（<a href="https://www.tsurita.com/news/2022/07/89874/">イメージはこちら</a>））になった。<br />
哺乳類の歴史は、わが世の春を謳歌する恐竜の足元で、夜だけちょこまかできる小動物として始まった。魚の鰓から転化した喉頭から出す音で、その頃は生き延びるために仲間と最低限の連絡をとっていたことだろう。そんな日陰の身から２億年以上経った今、私たちは喉頭をつかって話したり、歌ったりしている。<br />
耳鼻科の関わる器官を考えれば考える程、それがいかにコミュニケーションに重要かを私は思い知る。<br />
</span></p>
</div>
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