院長ブログ

2023.01.08

あらためまして

2年前のブログ「不眠」で私と更年期の異種格闘技みたいな話を書いたが、その後は女性ホルモンを補充していたこともあって順調に不眠を克服していた。ところが、ホルモンを補充していたにもかかわらず、去年の秋ごろからまた中途覚醒が始まった。
向田邦子の小説に、つまみ食いしようとして手を伸ばした息子の指を包丁で間違えて切ってしまった母親の話で新聞や雑誌に「指示」とか「指定」とか「指」が入っている文字だけが向こうから飛び込んできてそのたびに胸が締め付けられるという描写がある。
その頃の私も「更」という漢字が飛び込んできた。それが「更新」でも「更生」でも「更年期」を思わずにはいられなかった。
今回は以前ほど不眠時間が長いわけでもないが、途中で起きるより、やっぱりずっと寝ていたい。
まだほかに自分の身体に”できていないこと”は無いだろうか?見落としていることは???

さて、繁殖能力を失ってからも何十年と寿命がある動物は人間だけだ。類人猿で一番近い親戚のチンパンジーは繁殖能力を超えた50歳以上生きることは極めて珍しいという。
太古の人類は祖父母も育児し、食物を採取加工し、専門知識を伝えて若い世代を助けた。
助けられて若い世代はより健康で多くの子供を作る。これが何世代もチェーンのように続いてきた。だとしたら人間は健康で長生きする老人になるように自然選択された動物と言えるだろう。

「更」にはあらためる、さらに、ふかまる。などの意味がある。なら、ちょっと発想を変えてみよう。”できていないこと”より”できていたこと”を考えてみる。
おおよそこの40年、生理痛が全くなかったわけではないが働けない程のそれはなかった。出血がひどく貧血になったこともない。
肝心の更年期障害といっても中途覚醒くらいで、同級生のように「イライラして安定剤飲んでいる」でもないし、ホットフラッシュは冬の駐車場での発熱外来にはちょうどいい。むしろホットフラッシュよ!カモン!だ。
考えれば私の卵巣と子宮は存在目的は果たせなかったが、私をそんなに煩わすことなく働いてくれた。そして勤労奉仕の末に定年を迎えるだけなのだ。長い間、今までありがとう。
実はこんなふうに考えるようになってから、ホルモンの補充もしていないのに中途覚醒が無くなった。ハッピーエンドだけを信じる年でもないので同じ時期始めたジム通いの影響かもしれないし、
もう1年半に及ぶ更年期をちょうど卒業する時期だったのかもしれない。
それより更年期が、たまたまつかの間の休息を取っているだけで、この先に重症の更年期障害が待ち構えているのかもしれない。とは思っている。
ただ、この発想の転換は中年・老年の危機を回避する重要な戦術になりうる予感がしている。

最後に、この回を読んだら自分の身体に感謝してみて欲しい。
感謝することは過去の自分に向けられたものだが、未来をより良いものに、という気持ちにもなり、それが現在の行動を形作っていく。更年期をきっかけに気が付いた事ではあるが、自分の身体に感謝することは、つまり未来の自分を大事にすることなのだ。
悪くないと思いませんか?






今年も当院をよろしくお願いします。