院長ブログ

2021.04.25

我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか(3)

 ”我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか”
仰々しい題の話も最後の章をむかえた。
今までのブログより、ずいぶん長くなってしまったが
最後までお付き合いいただきたい。
分不相応に立派なこの題は(1)で載せたゴーギャンの絵の題名でもある。

裸族の健康を脅かすものは”飢餓””戦争など暴力””感染症”だった。
現代はそれを克服できているのだろうか?
世界では、飢餓や栄養不良で死ぬ人は100万人。
ただここでいう飢餓や栄養で死ぬ人は”いまだ裸族”の人というより、
貧困によるもので、飢餓の原因は”天気”ではなくて”政治”の面が濃い。
戦争や犯罪による暴力で死ぬ人は62万人。
自殺は80万人。
肥満が原因で死ぬ人は300万人。
と、数字で見ると銃より砂糖のほうが人を殺していることになっている。
現代人の死因は癌、心臓病、脳血管障害で、これは裸族にはほとんど見られない。
裸族の死因はマラリアなど感染症、戦争(部族間の抗争)による暴力、
そして、毒蛇、倒木など環境的な事故である。
どっちもどっちにも思えるが。。。
再び、今回の題の(1)で書いた、人類の時間軸を考えてみると、
祖先から私たちまで、そのほとんどを狩猟採集民として生きてきた。
このことと、現代の動かない生活、糖質・塩分の取りすぎ
という生活習慣がミスマッチを起こし、その結果として”現代病”が蔓延している。
と考えられないだろうか。
ビルの間を歩き、冷蔵庫には腐らせるほどの食べ物があっても、
遺伝子はいまだアフリカのサバンナにいると思っているのだ。
ちょうど数日前、スタッフからダイエットについて相談を受けたので、
マサイ族のような身体になるよう、裸族の食事を再現したという本
”原始食ダイエット”を勧めてみた。
すると次の日には親戚にうな重を食べに行こうと誘われたらしい。
現代は誘惑が多い。。。

成長や強さが望まれる先進国で、高齢者はどのように対応されているのだろう?
平均寿命が延び、高齢者が珍しくなくなった国ではどうすれば敬われるのだろうか?
動けなくなった高齢者をどう扱うか?は部族によって異なる。
もっと言うなら、部族の中でも異なる。
裸族の社会で敬われている高齢者の特徴を書こう。
まず、孫の面倒を見たり、孫の食べ物を調達してくれる。
実際、裸族社会で祖母が生きている場合、その孫の体重増加は早く
つまり、より健康的に育つ。
また、昼に狩りや木の実を取りに行く両親に代わって、
子供の面倒を見ることは若夫婦が助かるであろうことは現代も同じではないだろうか。
次に、例えば壺・カゴ・武器を作ることができるという特殊技能をもっている。
特殊技能があることは、足手まといになっても養ってくれる。
まさに、”芸は身を助ける”のである。
最後は経験知識として利用できる。部族の記憶装置として存在する。
おばあちゃんの知恵袋みたいなもんですな。

私は今52歳で、平均寿命50歳くらいの裸族から見れば「ほとんど死んでいる高齢者」だ。
老いの最中に合って、老いとは失うことのほうが多いけれど、
心と体の変化を理解し老いの利点を知ることができる。
老いによって、能力が上がるもの、それは
人間や人間関係への理解力。
専門分野にかかわる知識の豊富さ。
そして、自分のエゴを押さえて、他人を助けること。だ。
「退職したら今まで働いたから、好きなように生きる」は呪いの言葉で、
関わり合いながら生きていくヒト同士は、好きなように生きては幸せになれない。
老後のキラキラしたパンフレットに幸せはないのである。
孫がいない私なりに、この3つを解釈すると、
私の専門分野(医療)を通して次の世代への奉仕をすること。だと思ってる。
そんなことを深く考えていた先週、一番若いスタッフが
「ねぇ、先生、通り道にポストあるよね、これ出しといて!なんなら、旦那の分も!」
と、封書を2つ渡された。
そっ、そうだよね~これも奉仕だよねぇ~(終)



長い題の長いブログもこの章で終わりです。
そしてGWに入るので、ブログはしばらくお休みします。