院長ブログ

2018.06.24

ソ連の黒パン

私の育った富山県高岡市は日本海に面しており、近くには港があります。

私が大学生の頃、春休みで家にいてゴロゴロしていたときに、外国人の訪問をうけました。

体格のがっしりした大柄の白人です。初めて外国人と接する私には小山のように見えました。

「ポット、クレル、ヤクソク。」(片言の日本語と英語)「オカアサン、OKシタ」

あ~そういえば新しいポット買うからゴミに出すって言ってたっけ?

「here!」なんて、渡そうとしたら。「ナイ。ノーノー」。

どうやら身振り手振りでポットの真ん中にあるお湯を吸い上げる部品がないと言っている様だった。

実は日本ではその数年前から押すとお湯が吸い上がる管は真ん中ではなく、

壁の中に内蔵される形になっていたのだ。「ノーはノー、押すだけ!押すだけ!」と

製品名を連呼しながらちゃんと使えることをアピールするとそのロシア人女性は納得したようだった。

最後に「アリガトウ、フネデヤイテキタ」と黒くて鉄アレイみたいな重いパンを渡された。

初めて食べる異国のパン。う~ん、匂いと癖が強くて弟ですら一口しか食べなかった。

当時は東西冷戦が終わったばかりだったけど、西側のように小麦を精製しないんだな~

まだまだ、差があるな~って思ったっけ。

今、ロシアでワールドカップをやっている。サポーターがレストランで騒いでいる映像でパンを探すと

何となくおいしそうだ。あれから30年近くたっているから、もう黒い重いパンはないのかもね。