院長ブログ
2026.01.28
疲れの正体
インフルエンザなど発熱の病が流行しているピーク時には、診察の3分の1が発熱患者だ。そうでない時は10人にも満たない。さぞかし疲れるだろう、と想像するだろうが実のところは同じ人数なら発熱を診る方が疲れない。
似たようなことを大晦日の救急当番でも味わった。耳鼻科の救急は発熱に加え、”痛い””鼻血”など、救急的に起こった問題を解決するためにある。患者さん側が救急を受診した目的がクリアーな程、解決する作業もシンプルになるので疲れない。「これくらいなら毎年やれるね」とスタッフに話しかけたら無視されたが。
私たちの脳は1日に35000回選択しているという。何を食べ、何を着て、どう行動するか。一つ一つ吟味しては脳が持たないので便利な機能が生まれつき備わっている。それが”感情”だ。
今までもブログで情動と感情については書いてきた。ここであらためて説明すると、例えば草むらでひも状の物を見たら、ドッキっとしてとっさに逃げるだろう。この無意識に遂行される体の反応を”情動”といい、その体の反応を脳が意識した状態、ここでなら「怖い」を”感情”という。だから情動の後に生まれるのが”感情”と言うことになる。怖いからドキドキするのではなく、ドキドキするから怖いのだ。このシステムが備わっていることで生存するのに都合がよいことを過去のブログ(心理学のカテゴリー)では書いてきた。ひもが何かを確かめてから動くようでは毒ヘビにかまれて死んでしまう可能性が高い。今どきヘビなんてっと笑うなかれ、原始的な生活をしている民族では、”ヘビに咬まれる”は死因の上位にくる。
今回はもう一つのメリット、選択肢を減らしてくれ、意思決定が行いやすくなる。に焦点をあてよう。
私は今日やよい軒に昼食を食べに行った。そこでは定食メニューが46種類ある。何を食べるか考えると、過去に美味しいかったから”好きの感情”を経験したメニューが記憶から呼び起される。それは”チキン南蛮”と”とりカツ”だ。46種類から2つに絞られた。後は理性が細部を詰め最終的な意思決定を下す「クーポンあるから”とりカツ”にしよう」と言う具合に。感情が無かったら、46種類を栄養バランス、コスト、量などなど莫大な選択肢で悩まなければならないところを”好き”だけで2種類になるのである。
感情が自分が何をするかの意思決定のためにあるのなら、意思決定の連続である仕事は感情作業と言える。誰もが何をどこまで、どう判断するかを感情に委ねながら働いている。私が疲れないのは、救急や発熱外来は目的がはっきりしているので、感情作業が少ないからだろう。実際に大晦日の救急で一番疲れたのは「のどの痛みはひどくはないのですが、妻が来るので一緒に受診しました。こういう時は大体数日でのどが腫れるので、いつもの病院で薬をもらっていました。同じ薬が欲しいので善処してください」という”正常なのどの患者”だった。
思えば、私たちが日々感じている「疲れ」の正体は、肉体の酷使ではなく、この「意思決定」という名の迷宮に迷い込むことにある。
何を選べばよいのか?その選択肢の多さに、意思決定のための”感情”という資源が枯渇していくから疲れるのだろう。
何を選べばよいのか?その選択肢の多さに、意思決定のための”感情”という資源が枯渇していくから疲れるのだろう。