院長ブログ

2025.09.03

続・読書について

ダンスをうまく踊るには?没頭しやすい”今”に手を伸ばすとよい。それで言うと”読書”は最も身近なダンスの相手だ。
過去に「読書について(上・下)」を書いているような私にとって、”6割の成人は1か月に1冊も本を読まない”というアンケート調査の結果は衝撃だ。世界がよってたかって集中力を削ぐせいで、読書が圧迫を受けているような感じがする。そこで今回は読書の魅力をあらためて考えてみたい。
私のダイニングのテーブルにはいつも複数の本が置いてある。疲れ具合やその時の気分で読む本が変わるから、というのがその理由だ。現在は「言語学バーリ・トゥード」「サルとすし職人」「箱舟を燃やす」の3冊だ。
「言語学バーリ・トゥード」は疲れている私に笑いを、「サルとすし職人」は科学本なので知識を与えてくれる。こんなふうに日常的に濫読(らんどく)しているからか、どうも読む本によって、使われる脳の回路が異なるように思う。そして小説は情緒回路を使っている気がしてる。
小説を読んでいる時は他人の頭の中に入ったような感覚になる。「国宝」では、喜久雄が先輩や世間から寄ってたかってイジメられる。自分の外に出て喜久雄の頭の中に入り彼を体験し、自分の内では他人から理解されなかった同じような過去を思い出す。喜久雄がそれをどう捉えて解決していくか、どう自分が対処したか、それを繰り返しながら喜久雄を、自分を理解していく。そうやって読書することで共感力が培われていくのだと思う。
心の理論とは、人が(類人猿も)他者の心の状態(感情や意図など)を無意識に推測することで、その種(たね)はほとんどの子供に生まれつきインストールされている機能である 。心の理論の花を咲かせる栄養が読書のように思う。AIには心がないから心の機能はない。だからAIにダチョウ倶楽部が「絶対押すなよ」と言ったら、押さないのである。(「言語学バーリ・トゥード」より)
今回おススメされた「方舟を燃やす」は時代背景は私の子供のころから現代まででドンピシャりだ。女性の主人公は親から充分な愛情を受けず育った子にありがちな他人の意見を鵜呑みにする傾向を持つ。「よい食べ物がよい家庭を作り家族を幸せにする」と言ったような、きれいな言葉をそのまま取り込む。
よい食べ物とはなんだろうか?例えばチョコレート、確かに砂糖の塊で子供の歯によくないかもしれない。けれどそれを初めて食べたときの味わいが記憶として終生残り、そして分け合った女の子が生涯の友人になったのなら、悪い食べ物と言えるのだろうか?「ハリーポッター」では辛いときにハリーが口にし、「赤毛のアン」ではアンがダイアナとドライアドの泉で食べたのはチョコレートだった。
主人公は”よい食べ物”を実践したが、夫婦の心が通い合うシーンは無く、成人した子供は寄り付かない。確かに間違ってはいなかったけれど、幸せにはなれなかった。
よい、悪いだけだと思考は狭くなる。不確定なことを不確定のまま受け入れるのは高い認知能力ではないだろうか?よいと悪いだけで構成されるのが世界ではないし、よいことが良いことを生むとは限らない。そんな一見不条理に見えるルール(だけど条理)を教えてくれるのもまた読書であろう。