院長ブログ

2022.12.21

(続)運動について考える

私にはポッチャリ体型の友人がいる。ちっちゃなころからポッチャリで、スポーツテストの持久走では安定の最下位だったらしい。「もうゴールした同級生に、頑張れ~って声かけられるのが嫌だったわ。口から心臓出そうなほど頑張っているのに」
学校を卒業する=体育が無くなってから今まで、彼女は散歩以上の運動はしていない。運動は嫌いだそうだ。


持久走に代表される有酸素運動が心身に有益なことがわかってきている。
マウスなどの研究で回し車をゲージに入れた場合は、入れないのに比べて記憶に重要な神経細胞に違いが出てくる。回し車を入れたマウスの方が賢くなっているのだ。
人間では各家に回し車を配るわけにいかないから、1時間目の授業の前に生徒たちに走ってもらった。その高校では学校全体の成績が上がり、校内暴力が減ったという。
気分や意欲に関係する物質、ドーパミン、セロトニンは運動によってバランスよく調節される。
うつ病や不安障害、多動性障害の薬はこのドーパミンやセロトニンに働きかける薬であることを考えると、うつ病の治療の処方箋に”有酸素運動”が挙げられるのも理解できよう。
メリットは若い人だけではなく、高齢者にもある。有酸素運動をしている高齢者は認知症になりにくい。けれど、こんなに有酸素運動のメリットがわかってきているのに”よしっ!運動しよう!”となる人はほとんどいない。なぜだろうか?
理由を探しに遠い祖先の生活を見てみよう。何万年か前の遠い祖先は運動していたのだろうか?
タイムマシンがないから、現代に生きる狩猟採集民族の暮らしを垣間見るしかないのだが、実働は4~5時間で木の実を摘むとか軽い労働が主で、獲物を追うなどの強い活動は1~2時間程度だったという。
ちなみに哺乳類での親戚、チンパンジーは起きている時間12時間のうち10時間はゴロゴロしているという。都心の人間の方がよっぽど”ワイルドライフ”と言えるかもしれない。
思うに、生きるために必要な食料を得るため身体を動かさなければならなかったが、同時に生き残るためには身体を休めなければならなかったのではないだろうか。
祖先はダイエットや認知症にならないために運動をしていたわけではない。必要に駆られて身体を動かしていたのだと思う。もし彼らがタイムマシンに乗って現代にやってきて、ジムで真っ赤な顔をして30㎏のバーベルを持ち上げている私を見たなら、「なぜ?お前は持ち上げなければならない以上の重さを持ち上げているんだ?」と横で尋ねるに違いない。
重い腰を上げて身体を動かしに行くのは祖先の時代も今も変わらない。
そう思うと、身体をソファーから離して運動靴に足を入れてみるのはどうだろう?そんな時間がないなら日常の動きに自分なりの負荷をかけてみよう。得られることは多い。
(個人的な話ですが、ブラーバをつかわず床を雑巾で拭くようになりました)

最後に、冒頭の私の友人のスポーツテストの状況をほんの少し先の未来で展開してみよう。
そこではアップルウォッチをつけた生徒が1000mのスポーツテストを受けている。私の友人はこのままだと6分は切れないペースだ。iPadを持ち画面を見つめる先生は私の友人に声をかける「心拍数は185だ!最大心拍数の8割以上で走っているから頑張っているぞ!もう少しだ!」
そんな先でもない、いやもうできることかもしれない。
体育が、少しでも多くの子供が一生続けられるスポーツに出会う場所になれば。と願う。