院長ブログ

2021.09.16

喪失について

突然痛くなった私の奥歯は、歯を残すような治療をしたけど痛みがよくならず抜くことになった。
これで歯を失うのは3本目。永久歯ってよく言ったもんだ。
歯が痛くなってから、まともに噛めないので食事はミキサー食になりました。
昨日の夜は焼き肉のミキサー食です。
肉だけだと水分が少なくぱさぱさになるので、良く混ざりません。
もやしと一緒にミキサーにかけるといい具合の柔らかさになります。
参考になるでしょうか?
そうやって失って初めて自分が持っていたもの(この場合は歯の健康)に気が付くわけです。
子供のころは”得るもの”ばかりだったが、最近は”失うもの”=”ロス(loss)”の方が多いような気がする。
もうね、歯1本でセンチメンタルですわ。

人や健康、環境などいろんな失うものがある中でも、
思い入れのあるものを失うと悲しみも大きい。
悲しみの大きさが思い入れに比例するなら、それは人それぞれになる。
現在私が一番思い入れているつばめ=”ふうちゃん”は渡り鳥なので、秋には暖かい南の国へ渡る。
だから8月の終わりから毎日を「これで”ふう”ともお別れだ」と失う覚悟で接してきた。
失ってもあまり傷つかないように準備していたのだろう。
1日のうち1回以上は必ずベランダに来ていた”ふう”が9/11についに来なかった。
「渡ったんだよなぁ」
「もしかして、トンビやカラスにやられた!?」
私はうろたえた。頭ではこんな日が来るとはわかっていたし準備をしてきたが、
9/11がその日だとはわかっていなかった。
午後に仕事から帰って、洗面の部屋でずーと待っていた。
もうほとんど午後から夕方に来ることは無くなっていたのだが、
待っているという行動が”ふう”とまだつながっている気がして。
結局その夕方も”ふう”は来なかった。
その晩は小さい頃からの写真を見ては涙ぐんでいた。
心の焦点が”失ったこと”に合っている間は悲しくて仕方なかった。
けれど”ふう”が残してくれたもの「ふうとの思い出」に焦点が当たると
なんとか悲しみが少しずつ癒えていった。
目をはらして眠りについたけど、おとといまで続いていた”ふう”との生活が急に変わるでもなく、
日曜日というのに6時前に起きた。
「まだ朝の習慣は”ふう”といたときのままだな」と苦笑いしながら洗面に向かうと。。。
いたぁ~!!!


何食わぬ顔で、ベランダにとまっていました。
「ふうちゃん、渡りどうしたの!?」
本当にどうしたのでしょうか?”ふう”は渡るのでしょうか?
そして私は喪失したことになるのでしょうか?
それとも思い出が一つ増えただけでしょうか?(笑)