院長ブログ

2021.07.21

続々・がいじ道(外耳炎篇)

まさかの外耳道で3つ目のブログです。
耳鼻科医になって28年、これほど外耳道のことを考えた日々はないですね。

私たちホニュウ類には”触れられる”ことではぐくまれる関係があると思う。
以前のブログで書いたハーロウの子ザルは、ワイヤーで作った母さんwithホニュウ瓶より布の肌触りを選んだ。
ラットも毛づくろいに時間をかける親の子は好奇心旺盛で賢くなるという。
人間の場合は、文字で書くより赤ん坊と親の触れ合いを見ればわかる。
つまり触れ合うことで、愛情を受け渡していると思うのだ。
ハーロウの子ザルのブログでは書かなかったが、
実験が終わった子ザルたちは、群れに戻っても独りでいることが多く、
群れの同世代の仲間とも絆を作れなかった。
そして母親になっても虐待・ネグレクトなど、子供をどう扱っていいかわからなかったという。
子供時代の愛情の欠如で生涯にわたって、普通のサルにはなれなかった。
前置きが長くなってしまったが、そう、”触れられる”ことはこのように確かに大切なことだ!
しかし!体には”触れられたくない”場所がある!
それが”骨部外耳道”(「かいじ道」参照)にあたる。
この骨部外耳道を触り、触りすぎて”汁が出た””痛いっ”
と言って受診する人が梅雨から夏にかけては多い。
ここで、”かゆみ”と”掻く”について考えてみたい。
”かゆみ”の定義は「掻きたいという衝動を起こす感覚」と定義されているという。
てことは、この二つはセットということになる。
そして”掻く”という漢字は手へんに蚤(のみ)だから
もともとは蚤やダニが体についた感覚が”かゆみ”であり、
それを取り除く行為が”掻く”で大昔はかゆみを引き起こすのは蚤(のみ)やダニだったのだろう。

さて、掻いているときの気持ちはどうだろうか?
外耳道炎の患者さんは、あくまでかゆみを強調される方が多い。
「かゆかったのでちょっと掻いたらこうなってしまった」と。
しかし私はそこに「掻いたら気持ちよかったので、掻き続けてしまった」が
隠れているのではないか?と常々思っている。
実際、掻くと脳の中では”報酬系”と呼ばれる、快楽を生み出す部分が強く反応するそうだ。
掻くことはご褒美が与えられる行為ということになる。それはなかなか止められないだろう。
この報酬系が関わる悪癖には”必要のない買い物””喫煙””アルコール”などがあり、
”依存症”という名で知られている。
ところで、皮膚のほうも掻かれてばっかりじゃたまらない。
ある程度掻かれると、痛みを引き起こし、快楽に浸っている人間を”はっと”させるのである。


(”はっとしてと”は言わないが、”やばい感じがして”来院された右外耳炎の写真
痛みのない左外耳道と比べて欲しい)

さて、はっとして我に返り、掻くのを止める人はまだいい。
慢性的に搔かずにはいられない人もいる。
掻くことは皮膚を傷つけることだとわかっているけど、
掻くと気持ちいいから脳が掻け!掻け!と命令する。
掻く⇒気持ちいいっ⇒傷つく⇒もっとかゆくなる⇒掻くの悪循環に陥っている人たちだ。
ダンテの”神曲”は、この悪循環を地獄の苦しみとして表現している。
紹介しよう。地獄篇では詐欺師と錬金術師が地獄の8層目に投げ込まれ、
人から巻き上げたお金がダニになる一生続く痒みの刑を受けている。
この刑がどんなに罪深いかというと、地獄は9層構造で8層目は最下層の9層に次ぐ罪深さなのだ。


イメージの挿画。全身かさぶただらけの二人が、爪を立てて掻きむしり血をにじませていることを表現している。
掻くことは気持ちいいけど、やり過ぎは決して自分を幸せにはしない。
むしろ客観的には不幸にする。
まあ、依存症とはそんなものか。

いやぁ~7月のほとんど、準備期間を入れると1か月以上、私は外耳道と向き合った。
近年はイヤホンの使用が増えたこともあって、外耳炎の患者さんが多い。
外耳道への思いを熟成していたら3部作になった。
外耳道から”耳”をとると”外道”になる。
耳を触りすぎて、「このくされ”外道”がっ」になり
外耳道と”仁義なき戦い”をしないよう、切に願う。