院長ブログ
2025.11.09
記憶と遊ぶ
是枝監督の「ワンダフルライフ」という映画では、死んだ人が一旦ある施設に集められ、そこで自分の人生の一番の思い出を決めるように言われる。施設の職員は死者たちが思い出を決められるように手助けし、施設での最後の日にそれを再現する。死者にもう一度その頃の思い出がよみがえった瞬間に、その思い出だけを胸に死後の世界へと旅経つ。。。と言う内容だ。
生涯の一番の思い出を探すときに必要になるのは”海馬”である。
その昔(中世)脳を解剖した医師がタツノオトシゴに似ている形からその場所を”海馬”と名付けた。タツノオトシゴのラテン名はギリシャ神話に出てくる上半身馬、下半身魚の怪獣に由来し”ヒポカンプス”=海の馬という。タツノオトシゴのオスは稚魚が海で生きていけるようになるまでお腹に抱え大切に守る。
一方”海馬”の役割は記憶を抱えておくことである。記憶が分解され、脳の他の部分に保存され長期記憶となるまで抱えている。まるで海の馬のように。(海馬と記憶についての過去ブログ)
さて、生涯の一番の思い出となりうる有力候補は幼児期の記憶だが、残念ながら9歳まででそれは失われてしまうという。ただ、幼児期は元ネタが実際に無くても、周囲から聞いた事や写真により事実として吹きこまれ記憶として定着することが多い、先日「口が乾きませんか?」と80歳の患者さんに聞いたら「ええ、赤ん坊の時によだれが少ない子だったと母親は言ってました」と答えてくれた。こんなに長く覚えているのだから、よだれの量より、子供に覚えて欲しいことを語っていくことが大事ではなかろうか?親が話す幸せな幼少期の思い出は、その子にとってきっと一生の贈り物となる。
そして過去の記憶はどこまで正しいのだろうか?私はブログのネタになりそうな検査画像をしばらく経ってから思いつき、探すことが多い。確か「先週の月曜日」だったな、で探しても見つからず、「先々週の月曜」から見つけることなんてざらにある。真実である部分(この場合は月曜日)は残っていたが、細部は適当に近くの小道具を借りてくるようにくっつけ、記憶を再構成させるから、思い出は真実と作り話が混ぜられた品として出てくる。
そう、思い出は決して信頼できるものではない。それは曖昧で移ろうもの、なのに!思い出の中に残っていたドキドキワクワクをもう一度経験したくて「ドラクエ1・2リメイク」を購入してしまった。ドラクエをすることは、過去への扉があき、今の自分の願望で彩られた世界が再現されると思ったのだ。そんなわけないのにね。