院長ブログ

2025.10.30

はじめに言葉はない

波勝崎(はがちざき)では野生のニホンザル(マカク)が観察できる。餌を食べている者、小競り合いをしているもの、自分の力を誇示するために木を揺らしているオス(ディスプレイと言われる)。中でも一番多い行動が”毛づくろい”だ。
サルにとっての”毛づくろい”は社会交流を意味する。痒いから掻いてもらっている。と早とちりしてはいけない。それは親愛の情を交換してる時もあれば、我々が背中をさするように慰めていたり、またある時は謝罪、時に和解の合意文書に調印の意味など、状況に応じていろいろな意図が隠されているという。
”毛づくろい”される側のサルはとても気持ちよさそうにしていた。実は”毛づくろい”されると脳内エンドルフィン(快楽物質)という幸福感をもたらすホルモンが出てくる。一方、”毛づくろい”をする側のサルの脳ではエンドルフィンは出ない。する側は労力と時間を費やすだけなので、サル社会の基本精神は「あなたが掻いてくれるなら、私は掻いてあげる」だ。エサを誰とどういう割合で分け合うかは、その日の”毛づくろいをするーされる関係性”と一致しているという。
話はそれるが、私は「掻いてあげないけど、掻いてよ」的な人(経済学用語ではフリーライダー=タダ乗り)に、ついつい情動的になる自分が嫌だった。「掻いてくれなくても、掻いてあげるわ」であるべきと思っていたから。が、今は私の中のサルが発動し、「掻いてくれないから、掻かないよ」と言えるようになった。サルが私を救ってくれた一つでもある。
さて、社会性の高いサルはこの”毛づくろい”に20%の時間をかけるという。アフリカで生まれたヒト属は体温調節を汗でするようになったから、その子孫の私たちは極端に毛が少ない。毛づくろいする毛はないけど、社会交流は必要でだから、言葉のやりとり(=会話)がそれに代わっている。現在に生きる狩猟採集民族も社会交流に25%の時間を当ててるという。
波勝崎のサルも私たちも同じ社会的な生き物だから、伝えるべき情報の中で優先順位が高いのは「ライオンなど捕食動物が近くにいる」と言うこと以上に人間について、つまり「だれが味方で、だれか敵か」という内容だろう。言葉はこの噂話のために発達したそうだ。原始時代は隣人が正直者かフリーライダーかを知ることは生存の可能性に直結していたろうから無理はない。
そうやって発達した言葉を、可能な限り客観的に使うことを最近は目指していた。漫画「葬送のフリーレン」にある「魔法はイメージの世界。イメージできないものは魔法では実現できない」の言葉を借りれば「診察はイメージの世界」である。相手の意図するところをイメージし、そのイメージが一致しているのかを確認することから始まる。そのイメージを構築するピースが言葉だ。意識して聞いてみると人は曖昧なイメージしか抱けない言葉をよく使う。例えば「ずっと鼻が出ています」。ずっとが1週間なのか?1カ月なのか?はたまた1年であるのか?それを客観性の高い言葉に変換しながら私はその人が表現する「ずっと」の解像度を上げていく。もしかしたら、わかりやすい診療とはこういうことなのかと思いながら。
だけど肝心な時には言葉はその限界をあらわす。
先週末に遠くから同級生が沼津に遊びに来た。彼女が私に合う理由が”なつかしい”だけではないことを推しはかれるくらいには年をとったつもりだ。彼女と机を並べてからもう40年は経つ。
半ば当たり、半ば外れた私の勘を飲み込むように鮨を食べながら、言葉につまり彼女の背中をさすりたくなった。言葉を失くし、私はサルに戻った。