院長ブログ

2025.09.14

推しの死

実家では母親は新聞を読みながら愚痴っていた。「政治のことはわからないけど、最近の政治は本当にダメだね」と。次に新聞から顔を上げ、私も知っている母親の友達がしばらくすると遊びに来るという。私もご一緒するのでお茶請けをどうするのか聞いてみた。
私「熟してきたし、そろそろ桃出す?」
母「彼女はブランデーケーキの方が喜ぶと思う」
私「源吉兆庵は?」
母「ん?それはね、その価値がわかる人を考えてからな~」
いや!お母さん!それこそが政治だよ!と叫びたかったが我慢した。
「誰が、何を、いつ、いかにして得るかを決定する過程が政治である」という偉い人の言葉に従うとすれば、うちの母親が千疋屋の桃、ブランデーケーキ、源吉兆庵のゼリーを彼女の友人達にどう分配するのかを決めるのは立派な政治だろう。私が母親の言葉に政治を見たのと同様に、チンパンジーの中に政治を見つけたのがフランス・ドゥ・ヴァールである。過去のブログでサルに関わる部分はほとんどが彼の著作から引用している。
さて、ボスザルはどうやってサル山を治めているのか?恐怖と力?実は地位を安定させるためにはメスを含めての周りの支持、協調が欠かせない。彼の本には必ず、ボス、元ボス、ボス狙いの若ザルといったチンパンジーの三頭政治が書かれている。ボスと元ボスが対決している時期に若ザルがどっち側に付いて2番目を狙うか、また緊張が高まった時の融和路線などなど。次第に強くなる元ボスと若者の協力路線を分断しようとするボスの動きなんかは、国際政治でのアメリカがロシアと中国の協調を苦々しく思っているのと変わらないと思わないか。
若い頃の彼がその行動を1万時間以上観察して発表した”チンパンジーの政治学”は、当時の心理学、哲学から批判を受けた。その頃は、人間を際立たせたいあまりに、動物の暴力性ばかりを強調していた時代である。人には”理性”があるから特別と言うわけだ。
ドゥ・ヴァールはこれに真っ向から異を唱え、政治の元となる、共感性も道徳も人間だけの特権ではなく類人猿(チンパンジー、ボノボ)にもあることを証明した。人間の本質を、哲学者の言う”こうであるべき”よりも、生物としての起源つまり進化から”こうである”と私に教えてくれたのだった。
意外かもしれないが、つい最近まで「もっと自分はこうであるべき」と私は悩んでいた。プラトンの言う魂を引く馬車の御者部分が私には無いのだろうか?と。(プラトンは魂を導くものとして知性・理性を御者に例えた)
進化上の近縁の彼らは、人間の美徳も悪徳も正直に映してくれる”鏡”のような存在だ。類人猿たちを知れば知るほど、自分のこだわりが意味をなさないものに思えてきたのだった。私が”汝自身を知る”ためには、”いとこ”を知ることが必要だった。
それともう一つドゥ・ヴァールが教えてくれたのは行動観察という視点である。人がどう行動したかの方が、人がどう語ったかより真実を提供してくれることが多い。子供を育てていれば「宿題やったー」の言葉には真実が含まれていないことも多々あると実感できるだろう。
当院でも、私が「調子は?」と聞くと「まあまあです」と答えるのだが、私のめまいの評価はその時々で違う患者さんがいる。一番最近は眼振が消えていたので、最近の中では良い調子だろうと推察していたら、「僕も同じところに行ったことがあります」とフィレンツェ旅行の写真を見せてくれた!これは、かつてない行動であり、めまいから解放されているのに違いないと私は確信した。「まあまあです」の言葉だけではわからないことだ。
沼津市図書館には彼の本が6冊ある。
最新作「サルとジェンダー」は今年の3月に発刊された。読み進めていくと、独特のユーモアで”人間は特別だもん教”信者たちへの愚痴が書かれてはいたが、今までのような辛辣さとは違って、よい思い出話風味を感じ、胸が騒いだ。読み終えた続きで、普段は読まない訳者あとがきに入ると、昨年3月に胃がんで亡くなったことが書かれてあった。あぁ、もう私は彼の新しい作品を読めない。
その代わり、彼が今まで世に出した本を、また若いときから順に巡ってみようと思っている。
争いや仲直り、そのための共感、道徳や文化の起源、動物の知能や情動について。。。動物の認知を解明するのに一生を捧げた彼からはまだまだ学べると思うし、何よりその中では彼は生きている。