院長ブログ

2023.11.29

嗅覚にまつわる話

知り会いに看護師さん(や、その卵)がいたら、「脳神経12個言える?」と聞いてみて欲しい。学生時代とは違い全部は言えなくても、Ⅰ番目の”嗅神経は出てくる可能性は高い。
試験のヤマ中のヤマである、脳神経12個の先陣が”嗅神経”であるのに、その扱いはぞんざいだ。2011年の調査で携帯やパソコンをあきらめるか、嗅覚を失うか聞いたところ、若者の半分以上は嗅覚を失う方を選んだという。2023年の今ならもっと増えるのではないだろうか?医学会も似たようなものだった。学生時代に使っていた私の耳鼻科の教科書(全体280ページ)で、Ⅷ番目の内耳神経に関わるページは80ページなのに嗅神経には4ページしか割かれていない。
さて、実際の診療では嗅覚障害で困っている人は割と多い。コロナや認知症と嗅覚の関係がクローズアップされ、匂いを感じないことでわかる病気があると広く知られるようになったからだろう。
今週も「煙たいような、嫌なにおいが急に匂ってくる」という患者さんが来た。一通り私に説明して「あぁ、なんて表現していいのかな?うまく伝えられない」と自分の匂い体験にもどかしそうだった。
ところで、パクチーを知らない人にパクチーの見た目を伝えるには「緑の草で、茎と葉があって、茎は数ミリで細く、葉は柔らかくひらひらしていて、日本の三つ葉に似ている」と言葉がいろいろ出てくるが、パクチーの匂いを伝えるに段階になると言葉に詰まらないだろうか?
匂いを的確に表現しようとするのはとても難しい。この、言葉にする難しさが嗅覚が本能的な感覚とみなされ、ぞんざいに扱われた理由の一つでもあろう。言葉にとらえられないものは扱いにくい。ただ、扱いにくいのと感じてしまうのとは別なようで、調べると慣用句では鼻にまつわる方が耳よりも多い。
本能的な感覚と思われるわけは、匂いで昔の記憶の引き出しが開くことが多いからではないだろうか。このブログの話を看護師さんとしていた時に、「大根を茹でた匂いで、子供の頃の年末を思い出した」と話してくれた。私も病院近くの歩道橋を歩いたとき、突然カブトムシの匂いがして小学生の頃の夏休みを思い出したことがある。
実は嗅覚は感覚を統合する部分を経由しないでいきなり記憶や感情の部分に入力される。人の嗅覚は感情や気分、行動や記憶をつかさどる脳の部位に存在するのである。これは他の脳神経とは違う。匂いを嗅ぐと、昔の記憶の引き出しが開くのは人間の構造上そうなっているからだ。
こんな風に書くと科学的だが、香水MITSUKOで有名なゲランの4代目に言わせると詩的になる。「芳香は最も強い形の記憶である」と。そして3年前も匂いについて書いているので(「匂いとおもいで」)秋には私をノスタルジックにさせる匂いが何か漂っているのだろうか?