院長ブログ

2013.09.08

TOKYO

今朝は4時半に目が覚めてしまいました。開催地の発表までは少し時間があったので、

もう眠られないついでに”オリンピックと記憶”の旅を。

始まりは高校生のときの84'ロサンゼルスから。

「もうすぐ、日本選手が入場するよぉ」という母親のかけ声で家族がテレビの間に集まり

休みの朝だった開会式を見ていました。カールルイスの体型と活躍に

この先、日本人が陸上トラック競技でメダルを取れる日なんてが来るのだろうか?

と思いました。それから24年後に100×4のリレーで銅メダルを取るわけですが。

大学生での88'ソウルでは学生食堂の上にある喫茶室のテレビで

ベンジョンソンvsカールスイスを他の学生と一体となりやんや観戦していました。

勝ったベンジョンソンでしたがドーピングにより金メダルが剥奪され、

応援した時間までもしらけたような気になっていました。

この時のソウルと開催地を争っていたのが名古屋だったのを憶えておられるでしょうか?

ほとんど名古屋に決まりという雰囲気でふたを開けてみるとソウルだったので、

名古屋の落胆はひどかったのか、あれから開催地に立候補もしていませんね。

「今まで生きてきた中で一番幸せ」とコメントしてくれた14歳の岩崎恭子さんに拍手した

92'バルセロナ。その12年後に岩崎さんが生まれた沼津市に赴任し、

今現在はこの沼津で開業しているなんて縁を感じます。

麻酔の研修医としてオペ室で知った96'アトランタでのマイアミの奇跡。

反対に大学院生で自由時間もあり、スタートからゴールまで応援した00'シドニーの女子マラソン。

社会人になって初めて同じ職場(沼津市立病院)でオリンピックを見た04'アテネと08'北京。

年をとって時差に敗北したと痛感した去年のロンドン。。。

4年に1度なので、今までは住んでいる場所や立場が変わってきたけれど、

これからはずっと沼津で開業医としてオリンピックを観戦していくんだよな~

と廻ったところで記憶の旅は終了。

もうテレビではロゲ会長が開催都市のカードを持っていました。

”TOKYO”の文字にうるっときたのは、イタリアを旅した帰りの空港で

自分が乗るTOKYO行きの飛行機の案内を見つけたとき以来です。

7年後、自分やスタッフはどうなっているだろう?

できれば生観戦に出かけたいけど、許して頂けるでしょうか?